TOP [雑誌]精神医療 「精神医療」99号特集=精神医療改革運動・精神障害者当事者運動のバトンをつなぐ

「精神医療」99号特集=精神医療改革運動・精神障害者当事者運動のバトンをつなぐ

  • 責任編集=高木俊介+古屋龍太
  • 価格 1700+税円
  • 判型:B5判、144ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0717-2
  • 初版発行年月 2020年7月10日
  • 発売日 2020年7月12日

内容紹介文

巻頭言
バトンをつなぐために
高木俊介(本誌編集委員)たかぎクリニック[ACT-K・京都市]

●区切りとしての2020年
区切りとしての2020年ということを考えたい。もちろん、これは後になってみたら単なる事大主義的妄想だったということになるかもしれないのだが。
確かに、2001年にも同じように考えられた。2011年もまた、そうであった。2001年、イスラム世界の徹底的に抑圧された部分が世界に向けて矢を射た。それによって世界資本主義の象徴のような建造物が無残に崩壊し、世界が実は矛盾と分断に満ちていることが啓示された。だが、それはつかの間で、すぐに大国による"報復"の圧倒的な軍事的強大さが啓示を覆い隠した。
2011年の東北大震災は、日本という国だけにとっての惨事にすぎなかったかもしれないが、現代文明の最先端を装っていた原発のメルトダウンは、それが実はあまりにも脆いものであることを暴露した。だが、それも同じ科学文明による数字の操作と糊塗によって、この世界はまたも何事もなかったかのように偽装された。
そして今日、2020年、人類が実は自然環境からの脅威に対してひとたまりもない存在であることが、ウイルスによって突然白日の下にさらされる。このウイルスが、かつてのスペイン風邪インフルエンザのような破壊的な力をもつものであれば、かえって文明はその強さを発揮し誇示すらできただろう。しかし、世界を襲ったこのウイルスは、人間という生理学的生体に対する破壊力はさしたるものではないように見える。ただ、その感染力の強さによって、人類が誇る国家をはじめとする文明の諸制度が、ウイルスを縦横に侵入させる多くの綻びを抱え込んでいたことを知らしめたのだ。
将来の人類は、文化の爛熟した19世紀末から帝国主義的世界分割の完成した20世紀初頭、そして人類初の大量虐殺を伴う総力戦を経て、世界大恐慌という経済破綻が世界を塗り替えてしまった20世紀初頭の四半世紀と並ぶものとして、この20年の出来事を世界史に記憶するだろう。
今回のそれは、人間の生全体を巻き込んだ新自由主義による分割と支配にはじまり、大国のエゴイズムへの被抑圧者の無謀な抵抗とそれに対するさらなる抑圧というグローバルな戦争を経て、文化と経済のすべてを変えてしまう威力をもった自然からの復讐の歴史である。
人類は、fragileだ。

●精神医療改革運動の「終焉」
この区切りとしての2020年に、半世紀にわたって続けられてきたこの「精神医療」誌の歴史がいったん幕を閉じる。それは戦後という問題がまだこの国にはっきりと見えていた60年代にはじまり、この国の前近代の象徴でもあった精神医療の闇を切り裂き、それが精神病者に対する人道的処遇と人権の奪還をめざすことでこの国の近代化を一挙に達成するという夢に彩られていた70年代、そして高度成長の達成と空前のバブル景気の奇妙な明るさを背景にして、障害者の日常生活の権利を保障するという平等の理念を達成しようと闘いが続けられた80年代、バブルの崩壊と失われていくこの国の平等とともに精神医療も新自由主義に浸食された90年を経て21世紀に突入した、精神医療の歴史そのものでもあった。
この20年、私たちは世界の転変に抗すべくもなく、漂流し続けた。精神科医療という業界世界の小さなところでは、医局講座制の民主的解体と新たな専門家ヒエラルキーの再編というべき精神科専門医制度から、大きな流れでは抵抗し続けた保安処分制度が装いを変えて医療の中心に居座ったというべき医療観察法の成立まで、私たちはどう言い訳しようと、言い逃れようなく、流されてきた。
その間にも、この運動のはじめを担ってきた少なからぬ人たちが、鬼籍に入った。そのはじめを担った藤澤敏雄、島成郎、広田伊蘇夫。在日朝鮮人の精神障害者について綿密にその処遇を追った黒川洋治、労働運動と精神医療をつなぎ病院という場にとらわれた人々を鼓舞し続けた大越功、その強靱な精神力と情報力で精神病院に集う魑魅魍魎のような精神科医の集団を制御した岡江晃、反精神医学の旗手としてデビューしながら時代の寵児として活躍を続け、最後は認知症医療を担った小澤勲、精神病理学という象牙の塔の学問を運動というフィールドに解き放った松本雅彦、精神神経学会をかろうじて精神医療改革運動につなぎ止めてきた星野征光。
ひとつの時代が、確実に逝ったのだ。
そして、その間、バトンはホソボソとはつながれながら、この雑誌作りにかかわる職種も世代も広がってはきた。
だが、そこまでなのだ。
後に控えている人がいないわけではない。少なからぬ若い人材が、現実の精神科医療、福祉の壁にぶち当たり、迷い、私たちの声に耳を傾け続けてくれているのは知っている。
それでも、そんな彼らに対してさえ先を示すことの出来ないでいるのが、私たちの今だ。
後続の人材がいない、というのはあらゆる社会の営みの中で嘆き続かれてきた。パピルスに書かれているという老人の繰り言を持ち出すまでもない。この嘆きの根本は、私たち自身のふがいなさにあるのだ。

●障害者解放運動との出会いと「医学モデル」の行方
こうしたことを考え感じているその最中に、「精神医療」誌の休刊の話がもちあがった。
その時、つい最近、地域での活動の中でめぐりあった身体・知的障害者の運動を担ってきた人たちとの縁で手に取った一冊の本を思い出した。日本自立生活センター(JCIL)が企画編集した「障害者運動のバトンをつなぐ いま、あらためて地域で生きていくために」(生活書院;2016)という本である。文章を寄せ座談会に出ているのは、尾上浩二、熊谷晋一郎、大野更紗、小泉浩子、矢吹文敏、渡邊?の面々。
以前読んだときには、私たちが抱えている悩みとまったく同じだと思ったが、私の中では、当事者運動が中心である身体障害者支援と、自分たち精神医療従事者の運動を同列に並べることにためらいを感じていた。そのために、私の中に沈めたままになっていた印象が、今回の「精神医療」誌休刊に直面して、突然大きくせり上がってきたのだ。
この本の「はじめに」は次の言葉ではじまる。「障害者運動は今、一つの時代の区切りを迎えようとしている」と。
どういうことか。この書の中程に置かれた座談会で生の声が聞かれる。「運動の中で別の課題が生じていたり、あるいは次の運動課題は何なのかが見えにくくなっている状況もあります。そうした中で、先達のバトンを今どう受け継ぎつつ、どうこれからのことを考えていったらよいのか」(渡邊?)という問題提起は、まさに今私たちが直面していることである。そして身体障害者の場合は「制度は整ってきて介助者を探すのにも苦労しなくなって、どこかと契約さえ結べばボーッとしていても時間になれば介助者がくる。不便を感じにくい、差別を感じにくいというポスト制度化の時代に生きることで、闘うことがとても困難になっている」(熊谷晋一郎)という。
さらに小泉浩子の報告では、精神医療改革運動にとって重要なことが言われている。
自分たちが身体障害者の運動として獲得してきた制度や日常の介護にかかわるスキルが、難病や知的障害者の介助の現場でまったく通用しないという壁にぶつかったというのだ。
知的障害者の場合は、「介助者や支援者も『その人への責任』を担わねばなりません。どこまでも共に責任をもつという覚悟が必要になります」「今、障害者という枠組みの中に、今まで出会ってこなかった存在すら互いに知らなかった人たちが、入ってきます」と言う。その運動にかかわることで「私たち(身体障害者)にはわからないことがとても多い」と認めた上で、その排除を許さない運動をつくることの難しさが語られる。これは障害者運動自身が、その多様化・細分化の前で戸惑っていることを示しているだろう。
身体障害者の運動は、知的障害者、難病患者と出会うことで、このように戸惑い自ら変わりつつある。だが、精神障害者との出会いはいまだに遠いままだ。
もうひとつ、精神障害者、精神医療改革運動との出会いを困難にしているものが、医療の存在である。障害者運動は、旧来の障害は「治す」べきものとして「医療モデル」を押しつけられてきたことに対して「社会モデル」を対置して闘ってきた歴史がある。だが「医療と自身が生きていくことのあり方を切り離せない人たち」(大野更紗)と運動が出会うことで、「社会との関係性の手前にある、ある種医学モデル的なインペアメントに目を向けなければ、社会モデルが不徹底になってしまう」(熊谷)という地点に到達している。
だが、医学モデルへの距離の取り方の難しさがあり、それは運動の中での医師の権威性が残存することの弊害だと、これまでの障害者運動には見えている。その弊害は、私たちの精神医療改革運動の中では最大のアポリアとなる。なぜならば、精神医療改革運動は、その名前のあらわす如く、精神医療従事者(=支援者)の側の運動としてはじまり、その克服にはいまだ至っていないからである。医学モデルを徹底的に否定して社会モデルに到達したところから、再度医学モデルを再考するという弁証法的発展が、精神医療改革運動の中では機能しない。
ここに、精神医療改革運動が障害者解放運動と同じように行き詰まりながらも、それを克服して「バトンをつなぐ」作業に入っていくことが困難となっている最大の原因があるだろう。これを克服するためには、精神医療改革運動から「医学モデル」がまずは払拭されねばならないだろう。このことの困難さは、当事者と支援者の両方の側にある。

●新しい言葉をつむぐ
そのような困難を前にしても、私たちは自分のもつバトンを新しい世代につないでいくために、その点で一歩先を行く障害者解放運動に学ばねばならない。その運動が今課題としていることを明確につかんでおくことが必要だろう。
ひとつは、生命にかかわるような医療を要する重度の人たちへの支援である。たとえば、ALSのような難病や、重度の知的障害者の地域生活支援だ。従来、障害者運動は障害の重い人たちが声をあげることから始まっている。そして重度訪問介護の普及にみるように、その運動は身体障害者に関する限り相当の達成をみた。そして、システムができた中に、そのシステムに乗ること以上にできない世代の介護者をどう育てていくかという問題に直面している。これは、どこまでいっても軽症の人たちの支援からはじめて、そこに留まっている精神医療改革運動が見習い、自らを変革していかねばならないところだ。
もうひとつは、生活と人生の価値をどう高めていくかという問題。今、精神医療の世界でも言われているリカバリー、ストレングスという問題である。これは、本特集の座談会でも尾上がこれからの運動として指摘し、小田原、山本という当事者から、今の生活の中で、さらに獲得していかなければならないことはいくらでもあるという発言がある。また、座談会には出てこなかったが、障害者の生活の中で性の問題は大きく、ようやく今後とりあげられていくことになる。本特集では、門下氏がその問題に触れている。
おそらく多くの後続者にとって、利用者であれ支援者であれ、この問題が非常に微妙なのである。現在の達成からすると、これまでの運動のように大きな集団としての力を使わなくてはならない問題には見えない。しかし、だからといって、どのようにどこから取り組んでよいのかはわからないし、各現場でそれぞれの問題に共通項を見いだしにくい。いきおい、その声は権利の獲得に向かわず、具体的な利便性の改良に向かう。
精神医療の場合、さらに問題なのは、その"満足""達成"が、ともすると施設病院内の管理の中に置かれたままであることだ。そのことも、施設病院の中にいる支援者にとっては気づきにくいものであることを、本号の座談会で小田原、山本が厳しく指摘している。
そして、ようやく最近になって声があがりはじめたことに、介助者、支援者と利用者の関係の問題がある。それは同時に、介助者、支援者に対する支援の問題でもある。障害者運動のはじまりには、援助者は利用者の手足となればよかった。それが仕事として認められたものではないことから、様々な人間関係の軋轢があったとしても、せねばならぬことは獲得せねばならぬ制度と同じくらい明瞭であった。
その関係が介護の賃労働というシステムの上に乗せられるようになると、この葛藤、軋轢は隠蔽される。そのことが利用者と介助者の間に、口に出せない亀裂を生じ、互いに自らの価値が貶められているかのような感情に襲われる。介助者、支援者はさらにこのことを抱え込みやすく、個人的で心理的な援助を必要とすることが多くなる。このような「援助活動の内向」と言ってもよいような傾向が、社会的運動に関心を向けることをさらに困難にしている。
「障害者の傷、介助者の痛み」(青土社;2018)で知的障害者の介護者という立場からはじめて問題を真正面からとりあげた渡邉?にも寄稿してもらっている。私たちの精神医療改革運動は精神医療労働者の権利問題は取り上げてきたものの、そのような賃労働と支援が個々の関係に及ぼす影響には、あまり目を向けてきたとは言えない。逆に、そのような関係を人格障害などというレッテルにより患者利用者の側の属性に押しつけてきた負の歴史もある。
訪問看護ステーションを経営し、若い支援者の雇用に力を入れている渡邊乾は、本号の座談会でそのような現場に放り込まれる若者の生きる姿勢の変化に言及している。それは、巧まずして支援関係の問題を乗り越える端緒を見せてくれている。渡邊によると、この数年の若者たちは、お金や偉くなることには興味がない。お金も地位も人生を保証してくれる時代ではないことが身に染みている。だから、人生を語り合いたいと本気で思っているようだ。この数年、社会に出たばかりの若者がそんなふうに変わってきている。彼らにとって、障害を持ちながら一生懸命生きている人たちに接することに魅力があるのだ。一方的に支援をするのではなく、障害者の人生に教えられ、自分が救われているかのようだ。そのような仕事の魅力、自分たちの人生にとって見いだした意義を、先輩たちとも語り合いたがっている。それに応えられるバトンが必要なのだと、渡邊は言う。
社会的運動の継続を若い人たちに押しつける前に、私たちは彼ら若者のこの姿勢から新しい支援が生まれる道筋に寄り添わねばならないのではないか。これに呼応するように、熊谷晋一郎は上述の著書の中で言っている。自分が先輩たちから受け取った運動のバトンに、どんな燃料をくべて、バトンをさらに強いものにしていくのか。そのひとつに、「もう一度新しい言葉を生み出すということ」が必要だ。「もう一度、60年代、70年代のような新しい言葉(「社会モデル」「自己決定」)を生み出すこと...今ある語彙、言葉だけでは十分にとらえきれていない当事者の経験を燃料としてくべることで、このバトンはより強いものになっていくんじゃないか」と「新しい語りの重要性」を主張している。

●弱いところに立て
半世紀に及ぶ精神医療改革運動が多様化し、分散し、分断し、混迷し、そのいくつかは反動化し、いくつかは行き詰まった。しかし、身体・知的障害者の解放運動がかなりの成果を勝ち取ってきたのに比べ、精神医療にまつわる問題領域ははるかに未開拓のまま残され、この社会における精神障害者の権利は未明の抑圧のうちにある。
私たちが運動の後継者がいないことを嘆いている間も、ほんとうはこの世界に飛び込み、疑問をもち、闘い敗れていく多くの支援者、当事者と、いくばくかの魅力を感じて苦しみながらも関わり続けている人たちはいる。
だが、身体・知的障害者の運動にかかわってきた人たちが、次へのバトンを苦悩しながらも意識的に模索しているのを私たちは知っている。同じように、バトンをつないでいくために何をどう考えなければならないか。
本座談会の中で最若年のリーダーである渡邊は、私たちの運動が精神科病院の改良運動であったことの限界をはっきりと指摘している。その反省から、彼は地域で暮らす精神障害者を援助する若者たちの経験に着目した。
かつての運動は、医師を中心とする精神医療従事者が主導してきた。その経験が、同じ精神医療従事者であっても現在の若手には通じない。語り合うためには、新しい言葉が必要だ。その言葉は、おそらく、小さな、身の回りの日々の仕事と援助関係も含めた人間関係から生まれる、弱い言葉だろう。
2020年、私たちはついに人類がコワレモノであること、fragileな存在であることを知った。そこに障害者も健常者もなく、しかし、既成の社会のヒエラルキーだけが相変わらず厳然として聳え立ちふさがっている。抵抗や解放のための運動が強さの側にいてはいけない。fragileな、弱いところに立った、新しい言葉が求められている。


●編集後記

改めて「うんどう」を調べてみた。「運動」とは、「健康や楽しみのために身体を動かすこと」(体育学)、「物体が時とともに空間的位置を変えること」 (物理学)、「生物体の能動的な動きや素早い変化」(生物学)、「形態・性質・機能・意味・心理・感情などの変化」(哲学)、「目的を達成するための政治的・社会的な活動」(社会学)等の定義が並ぶ。
もちろん、本号で特集テーマに掲げた「運動」は、最後の活動をさす。しかし、今日「運動」は流行らない。政治的・社会的活動は、宗教的活動とともに敬遠される。平穏な個人の日常を破壊する、ウイルスのように毛嫌いされる。政治的には無色透明を保ち、中立的発言か無言の忖度を貫かなければ、自身が集団から排除される。違和感はあっても、現行システムへの強迫的な過剰適応が推奨される。
ネットで匿名なら過激な文字列を綴れても、マスクなしでの発言には怯えもある。世の生きづらさとともに「運動」は衰退した。
ただ、改めて本特集を通読すると、本来「運動」はより広い「変化」の意味を持つことに気づく。精神医療改革運動は、変わる時代状況の中で、意識的に立ち位置や戦い方を変えてきただろうか。他者とつながる喜びや幸せの身体感覚を語ってきただろうか。新しい実践やシステム、生きる意味と価値を能動的に生み出してきただろうか。
人びとの気づきを促し、意識を新陳代謝させる言葉を発せていただろうか。ともすれば精神医療は、イデオロギーやエモーションもしくはエビデンスをベースに語られることはあっても、人々の生き方を変化させるような、新しい言葉は伝えられてこなかった。当事者運動の感性と発信力にも遠く及ばない。
「精神医療」誌は、1970年の第1次発刊からちょうど50年を経た2020年、第4次通巻100号をもって休刊に入る。世界を覆うウイルスの蔓延と合わせ、時の変化と〈終焉〉を象徴する。それでも、地球上で類を見ないこの国の精神医療の現実がある限り、精神医療改革運動は続く。第5次「精神医療」創刊に向けて、新しい灯をともす準備に入ろう。新しい運動を創っていこう。時代に抗い、それぞれの場所で、静かに戦い続ける人たちとともに。手渡されるバトンの意味を握りしめながら。 (古屋龍太)


●お知らせ
読者の皆様へ
第4次「精神医療」誌は、次号(100号記念号)をもって、休刊することにいたしました。詳細は次号に記しますが、出来るだけ早い時期に、第5次「精神医療」誌の発刊が可能になるよう準備中です。
なお、100号記念号は、新型コロナウイルス問題のため編集会議の開催を延期せざるを得なかったことなどの事情により、通常よりも遅れての刊行になります。どうか御了承ください。
                       「精神医療」編集委員会 

目次

巻頭言◆バトンをつなぐために…………………………………… 高木俊介・002

座談会◆精神医療改革運動・精神障害者当事者運動のバトンをつなぐ
……………… ………………………………………………………………………………
尾上浩二+小田原孝+山本深雪+渡邊 乾+竹端 寛+古屋龍太+[司会]高木俊介・012

当事者研究をあるべき場所に ………………………………………熊谷晋一郎・038

運動のバトンの細分化とその行方―後期近代、解放、不安 、ショッピングモールなどの観点から…………………………………………………渡邉 琢・049

変革と継承―精神障害者の当事者運動から見出せる活路……… 桐原尚之・060

精神医療改革運動とバトンと精神科病院………………………… 中島 直・069

特別支援学校における性教育の今日的課題―知的障害児・者の性に着目して… …………………………………………………………………………門下祐子・076

ソーシャルワーク復興への光芒を探る―「ソーシャルワーカー」のソーシャルワーカーとしての解放を目指して ………………………………中島康晴・085

コラム+連載+書評
視点―60?障害者権利条約パラレルレポート…………………… 佐藤久夫・099

連載◆―11
精神現象論の展開(11)…………………………………………森山公夫・107

短期集中連載◆―3
私たちは何をしてきたのか―イタリア精神病院廃絶運動と我が国の精神病院改革運動… ……………… ………………………………………………富田三樹生・115

コラム◆左中間にて…………………………………………………… 熊谷彰人・125

書評◆『精神医療のゆらぎとひらめき』
横田泉著[日本評論社刊]……………………………………………駒田健一・130

紹介◆『まずはケアの話から始めよう』
山崎勢津子著[ゆみる出版刊]…………………………………… 中越章乃・136

投稿◆遺言能力の精神鑑定について………… 西山 詮+窪田 彰+一瀬邦弘・137

編集後記………………………………………………………………古屋龍太・144

次号予告…………………………………………・135

関連書籍