TOP Problem&Polemic:課題と争点 吉本隆明の<こころ>学◆<資質>・文芸・心的現象 PP選書[problem&Polemic]課題と争点

吉本隆明の<こころ>学◆<資質>・文芸・心的現象 PP選書[problem&Polemic]課題と争点

  • 高岡 健著
  • 価格 2500+税円
  • 判型:46判、285ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0716-5
  • 初版発行年月 2020年7月25日
  • 発売日 2020年7月27日

内容紹介文

序章 〈資質〉を〈倫理〉に変えるとき
―岸上大作・松本隆・つげ義春


少し冷静になったときに思い出す、吉本隆明の言葉がある。『吉本隆明論』を書いて吉本宅に上がりこみ、帰らなかった男について触れた、次のような文章だ。
《わたしが、この男に感じたのは、自己の中に他者をみることがまったくできない(これは左翼くずれに多い)ことと、薄っぺらな論理で、他者をオルグしているつもりになり、じつは他者に赦されているにすぎないことに、まったく気づかない鈍感さとであった。もっとも、青春とはそういうものであるといえばいえる。また、幾分かは、わたしの影でもあるような資質である。》(「情況への発言―若い世代のある遺文」『吉本隆明全著作集・続10』)
自己の中に他者を見ることが出来ないがゆえに、他者から赦されていることに気づかない鈍感さは、私の中にもある。そして、正直に言うなら、その鈍感さに気づく時は稀で、情けないことに多くの場合は気づかないままだ。
ところで、ここで吉本は、〈青春〉や〈資質〉という言葉を使っている。この箇所を読むと、自らの〈青春〉期に分かちがたく紛れ込んだ鈍感さという負の〈資質〉について、つい胡麻化しておしまいにしたいような誘惑に駆られる。しかし、世の中には、それとは正反対の〈青春〉期や正反対の〈資質〉があるのではないか。私の関心は、ここから急速に個人の〈青春〉と〈資質〉に向かって、旋回することになる。

#岸上大作

たとえば、次のような短歌がある。
―言い切らんことばやさしくポケットの手に触れている太宰治全集(「意志表示」)
―どこまでも終止符打たぬリイダァーにセクシーピンクの口紅投げろ「溢血の鼻」)
どちらも、岸上大作の有名な歌だ。彼は、六〇年安保闘争の渦中でこれらの歌を詠み、闘争後の一二月に縊死した。彼の歌には、政治闘争の叙景の中に、必ずと言っていいほど自身の心像が詠みこまれている。言い換えるなら、彼の〈青春〉と〈資質〉が詠みこまれているということだ。
岸上の死に触れて、吉本隆明は、「かれは〈遺書〉のなかで、失恋だと書いたり、弱かったのだと書いたり、また故意に道化てみせたりしているが、もっと奥深いところからかれを誘って死におもむかせたのは、かれの〈遺書〉の裏側を流れている巨きな、時代的契機であったような気がする」(「岸上大作小論」『詩的乾坤』)と記した。
私は、岸上が吉本宅を訪れた際の記憶について、吉本に尋ねたことがある。吉本は、安保闘争の話は出てこなくて、もっぱら短歌の話だったと言っていた。それほどまでに、短歌は、岸上の〈青春〉であり〈資質〉の表現だったのだろう。
だとすると、「時代的契機」が、岸上の〈青春〉と〈資質〉を、押し流してしまったことになる。
吉本は、別の場所で、「弱者は時代に耐ええず死ぬ、とうそぶく連中がいるかぎり、私たちはみずから死んではならないのだ」(「去年の死」『模写と鏡』)と記して、岸上を哀悼している。この部分を読むと、〈青春〉と〈資質〉を葬ることが、すなわち自らの生命を葬ることになってしまう情況に対して、吉本自身が耐え忍んでいるかのように映る。

#松本隆とつげ義春

吉本隆明の他の文章中にも、〈資質〉という言葉は散見される。たとえば、松本隆の文庫版『微熱少年』の「解説」(初出は新潮社の雑誌『波』)は、その一つだ。
『微熱少年』の「ぼく」には、即興でドラムを叩く音楽の〈資質〉と、挑戦に応じて勝鬨橋の開閉部を車でとび越す勇気のような〈資質〉がある。たった二つの〈資質〉をぶら下げて、目の当たりにビートルズの肉声を聴いた「ぼく」は、無条件に〈資質〉が惹かれていった恋人エリーを喪って、別の季節の前に佇つ。作者(松本)は一つの〈青春〉物語を書き尽くし、生涯を鎮魂する課題を果たし終えた―そういう解説だ。
吉本の著作の中では取り上げられることの少ない短文だが、私の好きな文章だ。たぶん吉本にとっては、こういう自然過程としての苦い〈青春〉期からの出立が、理想なのだろう。なぜなら、そこには断念ゆえの、価値の増殖があるからだ。
さらに、別の吉本の文章を挙げることもできる。つげ義春についての短文だ。この文章も、私の知りうる限りでは、あまり取り上げられることがなかったと思う。
《見栄などどこにもないのに、無償の生活を夢見ている。いつも無意識のうちに自然な資質からそんな生き方しかできない者のペーソスをふりまいては、私たちを嬉しくさせる。》
《社会のせいにも、政治のせいにも、他人の冷酷や差別や不人情のせいにも、がめつい女房の造反のせいにも、ぜんぶできるし、間違いなくそう描いているのだが、それよりももって生れた資質や性格のなかに生活無能者の悲劇を湛えていて、大と小がとり違えられたり、大切なこととさ細なことがひっくり返ったり、常識と非常識が入れ替わったりする悲喜劇が演じられる。》(「つげ義春『無能の人』その他。」『消費のなかの芸』)はなから〈青春〉とは無縁な場所でしか人生を営めない〈資質〉がある。そういう〈資質〉を、吉本は心から慈しんでいるかのようだ。やはり、そこには断念ゆえの価値の増殖があるからなのだろう。
ここで、もう少し付け加えて記すことも出来る。〈青春〉とは無縁に増殖した価値が、生き延びている場所についてだ。
地方の無名の版元から刊行された『百合ヶ澤百合の花』(大沼洸)という小説集がある。その中の「竹の間の客」という作品では、つげ義春が登場し、「私」と十年ぶりに出会う。出会った場所は、御竹村の春祭りの出店だった。そこには、ブロマイドの店や中古写真機の店のほかに古本屋があり、なぜか島尾敏雄と吉田満の対談集『特攻体験と戦後』を売っていた。
もっと驚くのは、「氣玉屋」という店があって、一袋三〇〇円の薬品(?)を売っていることだった。「景氣」「活氣」「元氣」「勇氣」からはじまり「妖氣」「毒氣」「食氣」「山氣」まである。「私」は「嫌氣」を注文し、つげは「毒氣」を買った―。
何とも言えず馬鹿馬鹿しいが、何とも言えない味がある。「氣玉屋」の親お や仁じも含めた皆が、「大切なこととさ細なことがひっくり返った」世界で、一瞬だけ出会っている。〈青春〉とは無縁の場所でのみ、かすかに増殖する価値は、見える者には見えるが、見えない者には全く見えない。

#川端要壽

自然過程としての苦い〈青春〉期からの出立の道をたどらず、また〈青春〉期とは無縁の場所に佇むのでもない場合には、意志的に〈青春〉期をくぐりぬけるしかない。いいかえるなら、人
工的に断念をつくりだすほかはないような〈資質〉も、存在するということだ。
意志的な〈青春〉期のくぐりぬけ方は、さまざまな領域に暮らす人たちに向かって、ほんとう
の意味での〈倫理〉をもたらす。このことを、もう少し説明してみる。
うかつにも私は、吉本隆明の影響を受けた最後の世代が、一九七〇年前後に高校生だった私たちだと思っていた。しかし、最近になって、そうではないことを知った。私などよりも若い世代にまで、吉本の〈倫理〉は深い影響を及ぼしていたのだ。
一例を挙げると、『不登校新聞』の編集に携わっている石井志昂は、ひきこもりに関する取材で、吉本から「誰だって、ひきこもらないと自分を保てないんだ」と言われ、はじめて自分がひきこもりになることへ恐怖を感じていることに気づいたと述べている(登校拒否・不登校を考える全国
ネットワーク刊『当事者の立場に立って』)。
この話には続きがある。吉本への取材を含む『不登校新聞』の掲載記事をまとめて講談社から出版しようとした山下耕平は、吉本から「著名人を集めて大手の出版社から本にして出すなんて、あんたら堕落してんじゃねえの?」と「お説教」されたと書いている(http://foro.blog.shinobi.jp/)。
原稿については「使いたきゃ勝手に使いな」と言っていただいたものの、彼はその「お説教」を、常に自戒へつなげているという。
また、『あたし研究』の著者の小道モコは、「本当に困ったんだったら、泥棒して食ったっていいんだぜ」という吉本の言葉に出会い、涙がこぼれたとブログに記している(http://crayonataken.cocolog-nifty.com/blog/blog_index.html)。
吉本は、随所でこの言葉を用いていると思うが、とくに私が印象に残っているのは、川端要壽の『堕ちよ! さらば』に記されたやりとりだ。かつて府立化工で吉本と同級生であった川端は、吉本に三千円を無心した。吉本は千円札を三枚、握らせながら、俺のところも楽じゃない、しかしこの金は返さなくていいと言いつつ、「人間ほんとに食うに困った時は、強盗でも、何でもや
るんだな」と微笑ったという。
この言葉に対し憎悪さえ抱いた川端は、吉本から貰った『試行』の一頁でケツを拭き、残りを便器に投げ捨てたと書いている。後になって吉本の言葉が冗談でも皮肉でもなかったことを、川端は知る。吉本が『純愛物語』(今井正監督)の映画評で「わたしは、人間は喰えなくなったら、スリでも、強盗でも、サギでもやって生きるべき権利をもっていると、かねてからかたく信じたいと思っているが、この映画の主人公貫坊と恋人の不良少女ミツ子は、まさしく、そういうモラ
ルの実践者なので、わたしが狂喜したのは云うまでもない」と記しているのを読んだのだ。
作為や外界に対する配慮がまったくなく〈自然〉であるならば価値があるということに気づかぬまま、川端は三千円を持って競馬場へ向かい、コーチ屋に騙されて金を失った。しかし、この川端の行為もまた、断念に裏打ちされた〈倫理〉には違いない。
ただいじけているだけの人には解るわけもないが、つげ作品の人物のように、はじめから〈青春〉期に背を向けた自らに固有の〈資質〉を、手放すことなどありそうもない人生と、『微熱少年』の「ぼく」のように、〈青春〉期の〈資質〉を自然であるかのように置いて出立する人生との谷間に、長く引きずってきた〈青春〉期を、意志的に超えようと試みる以外には断念できない、面倒な〈資質〉を抱えた人生がある。そして、意志的に超えるとは、誰から強いられるものでもな
く、私がそうしたいと願うところにしか根拠はないがゆえに〈倫理〉なのだ。
(初出:「〈資質〉を倫理に変えるとき」『飢餓陣営』38号)

目次

PP選書
吉本隆明の〈こころ〉学――〈資質〉・文芸・心的現象
高岡 健

四六版並製288ページ
2500円+税
ISBN978-4-8265-0716-5 C0036


精神科医である著者が、吉本隆明が広汎に論じてきた評論から、〈こころ〉と〈倫理〉についての吉本思想を解読し、この時代の狂気の諸相を抉り出す。

目次
序章 〈資質〉を〈倫理〉に変えるとき――岸上大作・松本隆・つげ義春

第?部 〈こころ〉学入門
第1章 <資質>‐妄想論――吉本隆明の漱石論
第2章 身体はなぜ抗うつ薬を食べ続けるのか――フォイエルバッハと吉本隆明の身体論
第3章 行動の構造論――吉本隆明「メルロオ・ポンティの哲学について」「行動の内部構造」
第4章 自閉スペクトラム症論――ドナ・ウィリアムズと『心的現象論序説』

第?部 古典?近代文芸における〈こころ〉学
第5章 吉本隆明の実朝論
第6章 吉本隆明の西行論
第7章 吉本隆明の芥川論
第8章 吉本隆明の太宰論
コラム 太宰治こと津島修治のカルテ

第?部 現代文芸における〈こころ〉学
第9章 『抹殺の〈思想〉』補遺――宮柊二『山西省』から木山捷平『苦いお茶』まで
第10章 三島由紀夫『美しい星』の核戦争論
第11章 小林美代子『髪の花』と精神医療の一九六八年
コラム レジリエンス――『源氏物語論』
第12章 吉本隆明の境界性パーソナリティ障害論――『国境の南、太陽の西』と『おしまいの日』
終章 統合失調症――『転位のための十篇』

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