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「精神医療」98号特集=漂流する精神看護◆専門職としての精神看護師の存在理由

  • 責任編集=阿保順子+佐原美智子+近田真美子
  • 価格 1700+税円
  • 判型:B5判、140ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0713-4
  • 初版発行年月 2020年4月10日
  • 発売日 2020年4月12日

内容紹介文

巻頭言

阿保順子

今回の特集テーマを決める際のきっかけは身体拘束である。筆者が実際に目にした身
体拘束場面は、日勤の男性看護師数人によるものであった。外から見える皮膚一面が刺
青で覆われていた患者さんであった。男性看護師たちは無言でその患者さんを拘束した。
1980年頃のことである。看護専門学校の教員として実習指導をしていた筆者は、学生た
ちをナースステーションに退避させることで精一杯であった。その日の学生カンファレ
スでは身体拘束について取り上げた。病棟の師長(当時は婦長)がカンファレンスに参
加してくれた。拘束に至るいきさつを知らない私も学生も、その場面の恐怖とショック
から逃れられないまま、「誰かがやらなければならないから看護師がやるのだ」という師
長の言葉で自らを救おうとしていたように思う。それから40年。身体拘束は、一定の
条件の下にとは言え、急性期看護の手順として、また、「診療の補助」として、いまだに
看護師たちによって行われている。40年の間に小さな揺れ戻しはあったというが、結局
は変わっていない。
逆に拘束は増えているのである。そこにはスーパー救急の増加や認知症患者さんの増
加など様々な要因は確かに絡んでいるのだろう。看護の問題だけではない。だが、実際
に拘束に手を染めているのは看護師である。看護師養成が大学教育化され、「看護学」は
学問されるようになった。同時に、看護師は専門職であるという認知度も高まり、社会
的ステータスも得られてきた。それでも以前と変わらず、漫然とした自信のなさと不安
を心の底に鎮めているかに見える。そして以前にも増して、寡黙に徹し、黙々と行動し
ている。以前と違っているのは、看護師のそうした行動を支えているのが、マニュアル
と諸プログラムであるということである。それらに従うことが看護師の仕事であると錯
覚のように見えていた事態はもはや錯覚ではない。リアルなのである。「マニュアルに
縛られた身体拘束」とは皮肉である。
精神看護についての特集が組まれるのは、これで5回目である。この間、何がどう変
わったのだろうか。数少ない精神看護に関する歴史を調べてみると、平安の時代から看
護師には無口で柔順である気質が歓迎されていたようである。明治期になると、一般の
看護婦同様、精神科の看護にあたるとされていた人々は差別されていたという1)。江戸
時代の身分制度を引きずっている時代にあっては差別というよりは区別であったように
思うのだが。いずれにしろ、それらの歴史の記述は考察が浅くて推測するしか手はない
が、無口と柔順は看護師に伝統的に期待されていた気質であったのだろう。
精神看護に関する本格的な記録が見られるのは戦後からである。本誌に連載された柴
田氏の『部分と全体―精神科看護の見取り図』2)や連載全6回『精神科看護と歩んだ54
年間』3)4)5)6)7)8)には、精神科医療における看護の営みが時代の形と空気とと
もに記述されている。
精神科病院における看護師の発祥から、治療と称するインシュリン療法やロボトミー
手術などによってその役割が変えられていく姿、制度や法律など大きな枠組みの変化、
その中での他職種の台頭、役割が奪われていくことに対するひたすらな戸惑い、セルフ
ケアなど意匠を凝らした生活支援役割に飛びつくさま。そんな経緯が社会的事象や精神
医療の状況、法律の変遷などの歴史的な事実と重ね合わせながら述べられている。同時
代の精神医療の現場に居合わせ、抗って抗って生きた精神看護師ならではの臨場感あふ
れる歴史的記述である。こうして歴史のプロセスにおける看護師の意識や感情をたどれ
ば看護の現在が見えるのかもしれない。
これまで一生懸命やってきた看護師たちは、こう考える。「自分たちは医師の手足で
はないはずだし、ましてや新しく台頭してきた他の専門職がやっていることはこれまで
看護師がやってきたことである。」と。だが、医療以外の人々から見える看護師は、医
師の指示に従い、医師の手足となって働く者、医療職の中でも最大規模を誇るコメディ
カルの末端でしかない。同じコメディカルでありながら他の専門職は「先生」と呼ばれ
る。彼らは医師とは違うが、看護師と同じ位置付けではない。そこはかとない自信のな
さ、責任をとれない立場性、論理的に語ることのできない思考や感情の曖昧さなどが混
じりあって、看護師にはいつもためらいが付きまとってきた。それは、看護の自立性9)
や主体性の問題10)11)12)13)14)として繰り返し語られてきた。ためらうなど非効率的で手間暇かかることは看護師を消耗させる。だから、ためらいは自己責任社会では容易に捨
てられる。最も効率的なのは何も考えないことである。考えなければためらいも生まれ
ない。自己責任を回避するためにはマニュアルに従って行動すればよい。主体性は自己
責任を呼び込む。保助看法どおり医師の指示に従って診療の補助をすることが何より安
全である。繰り返し語られてきた主体性は、結局、医師の傘の中に入っていることの安
全性に負けてしまう。物心両面での医師への依存体質は出し入れ自由なタンスの引き出
しとして今でも機能しているように思う。めんどくさ! と思ったら誰かに預ける、し
まい込む。当然のごとく看護師としての自信ややりがい、楽しさなどを体験することは
できない。アイデンティティなど形成されるわけもない。あったとしてもそんな状況に
あっては木端微塵である。
精神科看護師とは何をする人なのか、患者さんとの関係とかかわりはどう在ったのか、
どうあるべきなのか、精神看護師自身の苦悩15)は、苦悩のままで掘り下げられること
がない。だからからか、あれが足りないこれが足りないと、足りないことばかりを身に
つけるという習性にまで発展した。お勉強好きで、お勉強だけに終わる。お勉強が改革
や発展に直接貢献することはない。そうこうしているうちに病院精神医療は地域精神医
療へと転換し、看護師は次第に地域看護に惹かれていく。自らの苦悩を自覚しているも
のは地域へと場を移していく。他職種との連携の中から自らの専門性を見せつけられた
り、逆に、多職種連携の混沌に再度埋もれてしまったり、地域医療に馴染んでいくまで
のプロセスでの困難はあったにしろ、地域へと移った看護師らは活き活きと働いている。
訪問看護の実施主体の問題は、当面の課題ではあるにしろ、地域医療としての看護実践
は広がっている。病院に残った者はアットホーム的な環境を準備し、自らの存在意義へ
の疑義を解消しようとする。深く考えれば看護師自身の居場所がなくなる。患者さんの
ために、自らのためにもそこに居続ける道を選ぶ。地域連携室業務の中に、かすかな希
望をもって居続ける場合もあるだろうが。
医療から保健へと、精神看護はメンタルヘルスをも包含するようになる。「日本精神
保健看護学会」という精神看護の専門学会の名称は、精神看護という専門性のカバー範
囲を考慮してのことだろう。メンタルヘルスや地域における精神看護、概念を整理する
だけでも精一杯なのである。看護師は、なんでもやってきたし、何でもできる。だが、
何者でもない。専門職とは言え、昔も今も職業が持つ性質は変わっていない。しいて言
うならば、最近はこうした「なんでも屋的職業」であることの自信さえも看護師から失
われている。そのかわり、「自分たちはこんな危険な場所であっても逃げずに働いてい
る」「自分たちは患者の心のアセスメントを医師以上にやれる」と、やや自虐的で卑屈さ
を伴う傲慢さに変わってきているようにも見える。CVPPPなどといった横文字を並べ
たさまざまな研修会でお勉強をする姿は何とも言えず異様な感じすらする。勉強しても
勉強しても精神看護師としての自らの「すばらしい体験」には結びつきはしない。
精神看護というのは、地図には書き込まれない影の場所にあるということなのだろう
か。看護専門職とは何かという1970年代頃からの執拗な問いかけは、時代の空気を背
景に、書き込むことのできない影を形として書き込もうとする無謀さであったのだろう
か。形に影はあるが、影から形を作ることはできない。精神看護は漂流している。何も
考えることなく漂流したまま流されてしまえば、影の場所さえ失ってしまう。看護師は、
医療専門職者の中で最も多くを占めている。精神看護師とは何をする人なのか抜本的に
考えないと、私たち国民は、弱ったときの添え木を失うことになる。
今回は、何でもできて何者でもない精神看護師の存在理由、それゆえ、なんとなく実
体があるように思われている精神看護とはいったい何なのかに迫りたいと思う。

【文献】
1)日下修一:精神看護での看護歴史教育の必要性―精神医療史に見る差別意識の形成過程,日本看護歴史学会第30回学術集会 大会長講演.
2)柴田恭亮:部分と全体―精神科看護の見取り図, 精神医療, 14号,p20-27, 1998.
3) 柴田恭亮:精神科看護と歩んだ54年間 臨床編(?)(1960年? 1970年), 精神医療, 80号, p114-122,2015.
4) 柴田恭亮:精神科看護と歩んだ54年間 臨床編(?)(1970年? 1978年), 精神医療, 81号, p118-126,2016.
5) 柴田恭亮:精神科看護と歩んだ54年間 臨床編(?)(1982年? 1987年), 精神医療, 82号, p114-122,2016.
6) 柴田恭亮:精神科看護と歩んだ54年間 教育編(?)(1987年? 1995年), 精神医療, 83号, p11-121, 201.
7) 柴田恭亮:精神科看護と歩んだ54年間 教育編(?)(1995年? 2006年), 精神医療, 84号, p141-149,2016.
8) 柴田恭亮:精神科看護と歩んだ54年間 教育編(?)(2006年? 2014年), 精神医療, 85号, p103-111,2017.
9)渡辺瑞也:いわゆる個別看護をめぐって―開放化における看護のあり方のひとつとして,精神医療,39号, 10(2), p11-18, 1981. 
10) 兵庫県臨床精神医学研究会:私たちの精神科看護考, 精神医療, 54号,14(1), p73-79,
1985.
11)倉光栄子:精神科における" 看護力" とは,東北精神医療, 第19号, p50-55, 1990. 
12) 佐久間えりか:「判例」にみる精神科看護の専門性, 精神医療, 14号, 57-68p, 1998.
13) 西本香代子:看護者の力量形成と治療的役割―精神科看護へのさまざまな思いの中から,精神医療,14号, p28-40p, 1998.
14) 南方英夫:変遷の中での精神科看護実践力,精神医療, 82号,p20-27, 2016.
15)佐原美智子・倉田健治・山本浩子:座談会「精神科看護の現状と模索」,精神医療, 43号,11(2),p3-11,

●編集後記

本誌で精神看護の特集が組まれるのは6回目になります。今回の特集は「漂流する精神看護―専門職としての存在理由」としました。専門職としてのアイデンティティをめぐる問いが執拗に浮上してくる点に、精神看護という領域の不確かさが如実に表れています。
今回、長きにわたり、精神看護の現場で思考してこられた諸先輩方、専門看護師として最前線の現場の実情を肌感覚で把握しておられる方々、精神看護学の教育や研究に携わっておられる方からの論考をお寄せいただきました。どの論考も、精神看護をめぐる様々な問題について述べておられますが、最終的には、精神看護の主体性、自律性を危惧するという点に集約されていくように思われます。柴田恭亮先生が1998年の特集号において『21世紀を目前にして、ようやく精神科看護は成人期の入口にたどり着いた』と表現していた時と、状況はあまり変わっていないのかもしれません。むしろ、効率化の波に押されて、人間をモノ化することで業務を成り立たせようとしている傾向にある今の状況を踏まえると、さらに、厄介な局面に立たされているのかもしれません。
しかし、嘆いてばかりもいられません。精神医療を取り巻く課題は、私たちに専門職としての態度を示すよう、強く要請しています。
対象者の高齢化や看護職の人的資源の不足など様々な要因で増加の一途を辿っている「身体拘束」という行為の問題。自己本位が優先されることにより寛容性が失われつつある私たちの精神構造と社会をどう耕していくのか。いまだ、地域生活への移行が困難な社会的入院の人々に対する支援も解決していません。やるべきことは、山積しています。
精神看護を生業とする私たちは、精神疾患という病を抱えた人の苦悩に触れ、了解可能という形で理解することを出発点として、これらの課題にどう応答していくのか考え続けなくてはいけないでしょう。戦後の無と混乱の中、精神科看護の役割について模索し、格闘し続けてきた諸先輩方の強い意志と構えをしっかり引き継ぎ、効率化の波に抗いながら、精神看護の専門性について思考し続けていくタフさが今、私たちに、求められています。
(近田真美子)

目次

特集
漂流する精神看護―専門職としての精神看護師の存在理由
巻頭言?漂流する精神看護
―専門職としての精神看護師の存在理由…………………………………………… 阿保順子・003
座談会?精神看護の現場とはどこか、現場で看護師は必要か
……………永井優子+小林將元+大迫 晋+阿保順子+[司会]近田真美子+佐原美智子・010

精神科の専門性こそが問われている …………………………………………………………………………………… 稲村 茂・033

看護師の主体性と精神看護師のアイデンティティ
―援助関係と感情…………………………………………………………………… 宮本眞巳・039

精神科訪問看護に必要な看護の要素と看護師の存在意義……………………………………………………………………………………… 山本智之・056
専門分化されてゆく看護
―精神看護の専門性を考える… …………………………………………………… 東 修・064
精神看護はどこへ向かうべきか、戻るべきか
…………………………………………………………………………………………那須典政・073
インタビュー?言いたい放題:精神看護者はどんな形で存在していくのか
………………………………………………柴田恭亮+[聞き手]阿保順子+佐原美智子・080

コラム+連載+書評

視点―59?日精協が提案する「精神科医療安全士」やCVPPPは、
精神科臨床における暴力の未然防止に効果は期待できない……………………岡田 実・103

連載?―10
精神現象論の展開(10)
…………………………………………………………………………………………森山公夫・110

短期集中連載?―2
私たちは何をしてきたのか
―イタリア精神病院廃絶運動と我が国の精神病院改革運動… ……………… 富田三樹生・116
コラム?その道を全うするために
………………………………………………………………………………………池田朋広・122

書評?『精神障害のある人の就労定着支援―当事者の希望からうまれた
天野聖子著・多摩棕櫚亭協会編著[中央法規刊]… …………………………添田雅宏・126

投稿?旧優生保護法でのハンセン病への優生手術に関する
岡田靖雄氏の言及に対する違和感… ……………………………………………松浦武夫・131

編集後記…………………………………………………………………………近田真美子・140

次号予告…………………………………………・138

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