TOP 文学・批評・詩 百人一首の図像学◆狂歌絵師北斎、最後の大仕事

百人一首の図像学◆狂歌絵師北斎、最後の大仕事

  • 岡林みどり著
  • 価格 3500+税円
  • 判型:A5判、266ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0712-7
  • 初版発行年月 2020年6月10日
  • 発売日 2020年6月12日

内容紹介文

プロローグ
――百人一首抄と百人秀歌、2 つの三十六歌仙集、伊勢物語と源氏物語北斎の「百人一首姥がゑとき」の27 枚の方法は、天武天皇一家の事績を隠しつつ顕わすことにありました。なぜならば、次男坊である天武天皇の評価は長子相続を建前にする江戸時代をとおしても難しいものがありました。
しかし白村江の敗戦の責任者である天智天皇の皇子にとってかわった天武天皇は、朝鮮進出に失敗した豊臣政権に置き換わった徳川幕府の正統性にかかわる大事な先例でもあったからです。
それで、北斎は、「合わせ対歌」と「通し番号」の二本立てで絵柄を組み合わせて、「天武天皇の嫁である阿閇皇女こと元明天皇の万35 の歌を27 枚の中に隠しました。そのことをよみ解くためには万葉集、古今和歌集、伊勢物語、源氏物語、そして新古今和歌集に用いられている番号数を関連付ける必要がありました。
このことを理解する鉤の一つが和歌集を流れている暦法への関心こだわりです。日本書紀では元嘉暦と儀風暦が取り上げられているのですが、これは神武天皇の東征の時期を示す重要な数字にかかわっているので、簡単にはわからないように伝えられてきています。そして、日本文芸史では百人一首と百人秀歌、三十六歌仙集と中古三十六歌仙、伊勢物語と源氏物語という風に似たような作品が双系で伝えられてきています。2 つずつを徹底的に比較対照することで表にでてこない裏の考え方が見えてきます。
一般には百人一首、三十六歌仙、そして源氏物語の方が圧倒的に権威をまとって伝えられます。しかし文芸史では両方の差異をきちんと評価しながら、両者を合わせた時に見えてくるものが大切なのです。
それにしても、ダジャレについての関心のなかった私に、その面白さを最初に教えてくれたのは北斎の「百人一首姥がゑとき27 枚」だった。和歌の歌語と絵柄を合わせていくとわくわくした。さらに、北斎は通し番号と対絵の組み合わせによって百人一首に流れている万葉集から新古今和歌集までの時間の流れを可視化している。しかも多くの場面に江戸市中の人々の風俗が出ていて、当時の庶民の暮らしにまで、その流れはつながっていると考えているようだった。
北斎さんの意図をくわしく読み解こうとすると、どうしても「かけ言葉」のことがわからなくては次に進むことができない。それで少しずつ勉強を始めた。その結果、万葉集にもかけ言葉やダジャレがよく出てくることがわかった。そして、持統天皇の歌にもそういう言葉遊びを使ったものがみられる。
また嫁の阿閇(あへ)皇女こと元明天皇の万35 には優雅さのかけらもない奇妙な歌語「これやこの」が入っていて、それが百人一首の抄10 の蝉丸の歌に引き継がれていることから俗語の大切さを主張していることもわかる。
そのようなことがわかってくる頃には古今和歌集などの勅撰和歌集だけでなく伊勢物語や源氏物語や枕草子にも興味が出てきた。とくに伊勢物語の9段にある「比叡の山を二十あまり重ねた」という表現は大げさでもなんでもなく富士山と比叡山の標高の比の二乗数(√20≒2*2(ふ).23(じさん))であることがわかっていたから、万葉集にもそういう「数喩」をつかった具体的な数字が読み込まれていないか気になってきた。探し出すといろいろ見つかった。それを7 章にまとめておいた。さらに1 章でとりあげた「形喩」は西洋修辞学では隠喩として議論されるものだが、万葉集では同音の「八隅しし・安見しし」が重要である。古今和歌集以降では「山風/嵐」以外に「二三/三二」「板橋/木橋+反橋」などの漢字遊びとして伝統的に引き継がれてきている。
また、古今和歌集の21 番は光孝天皇の親王時代の歌だと断っているが、そうすると万21 の天武天皇が大海皇子だった時代の歌と通底してくる。しかも古今17 から22 までの6 首の主題は藤原氏の本拠地「春日野」で、万20の中の歌語「野守」や「袖ふる」などがちりばめられている。「野守」は古今和歌集ではここ1 回しか出てこない。絶対、古今和歌集は万葉集を意識して編纂されていると考えた。
このようなことがわかりだすと、みやびの極致とされている古今和歌集や源氏物語にも語呂合わせのような言葉遊びが盛り込まれているし、宗達の「源氏物語絵図屏風」は古今和歌集の羇旅歌をふまえていることもわかった。そして宗達のパトロンであった角倉素庵のかかわった百人一首抄の嵯峨本には昭和26 年まで知られていなかった「百人秀歌」の配列が残されている。それで琳派の後継者である尾形光琳の残したカルタの絵柄の分析をもとに両者の位相差を分析して、百人一首抄は、現在見つかっている最古の文献である藤原満基の時代に編纂されたものと結論した。
また、北斎は一時期、宗理を名のって琳派に傾倒していたわけであるが、北斎の「姥がゑとき27 枚」は光琳カルタの絵柄をふまえていることがわかる。さらにいうと、宗達もまた伊勢物語9 段の要諦を「蔦の細道図屏風」によって簡潔に表現していた。これは左双と右双を入れ替えても絵の主題は変わらないので、屏風絵の主題は、細道は繰り返しでいつまでも続いていくのである。(口絵1、2)。
それが伊勢物語7?11 段の主題で、東海道と東山道という二本の道は富士山の周回道なのであって、道を行くとはその繰り返しだということである。
北斎も「細道図」を多数残している。これこそが和歌文学を貫いている時間意識だからである。この時間意識を空間に適用すると「対位法」になる。表があれば裏があるように、左右があれば右左もある。上があれば下もある。下がなければ上もない。
ところが、日常生活では2 つの存在を全く異なるととらえ、さらに互いを値踏みし、貶めあっていくことも多く、言語においてそういう意識が強く働く。特に階層関係が固定している社会では「規範言語の中心にある書記言語」だけに価値があって「運用言語である俗語」は貶められていく傾向がある。だから歌よみであれ、絵師であれ、優れた人たちはその乖離落差をうめていく運動を担ってきたし、優れた統治者はそういう運動の良き理解者であってきた。それでもそういう矛盾を解消できなければ社会の断層が大きな口を開けざるをえない。それは地球の造山運動の結果、大地震や大津波が起きるようなものである。年ごとの桜と妻恋の鹿をしのぶのは、そういう大変動を繰り返し経てきた列島のありようと重ねるためである。万83 と万84 はそのことを明確にうたっている。どんな大津波が襲ってきても必ず穏やかな妻恋の季節は到来するものだと。そうやって倭国は続いてきたのだと。末永く大切にしていきたい2 首である。

【万83】――長田王
海の底奥つ白浪立田山いつか越えなむ妹があたり見む
【万84】――長皇子
秋さらば今も見しごとく妻戀に鹿なかむ山ぞ高野原の上

そしてこのことは古今和歌集の編纂者たちにも意識されていたことが古今816 によって知られる。

【古今816】――読人しらず
わたつみのわが身越す波立ち返りあまのすむてふうらみつるかな

なお、江戸の大判錦絵は版元と絵描きが共同で作り上げる出版物なので、民衆と統治者の共同作業という部分があり、倭国の歴史を和歌に限定したとはいえ、公刊物として『百人一首姥がゑとき27 枚』を世に出すことができたことは徳川王権円熟の到達点とみることができる。
第二部は古事記の天稚彦譚を解釈した「天稚彦物語絵巻」と後水尾院の意向を反映しているといわれる京都の各御所のしつらえをとりあげ、室町時代から江戸時代初期にかけての絵画資料の確認を行って第一部の傍証とした。
結果として江戸時代初期から露出するようになった市松模様と鎌倉時代からの三鱗紋は数理表章として相補的であることを突き止めた。
第三部は、第一部、第二部を書き終えた後に、元号令和の初出が万815 の梅の花32 首の序からとられていることを知って、あらためて万葉集を読み直して発見した内容である。出来立てのホヤホヤであるが、万葉集の編纂者としての大伴家持(編集者ではない)の「方法」に迫ることができたと考えている。この「方法」なしには万葉集巻1 の意図を正しく読み解くことはできないし、逆に万葉集の中心主題は第三部で抽出した4 つの連番歌なしには十分には理解できない。
なお、万葉集の歌の訓読文は現行の仮名遣いを用いたが、字種については原文を尊重した。

口絵写真の掲載について、以下の所蔵機関から掲載のお許しを得ました。
ここに記してお礼申し上げます。
1 .相国寺承天閣美術館;蔦の細道図屏風(宗達)
2 .町田市立国際版画美術館;百人一首姥がゑとき(北斎)
3 .静嘉堂文庫美術館;源氏物語絵図屏風(宗達)
(静嘉堂文庫美術館イメージアーカイブ/DNPartcom)
4 .専修大学図書館;天稚彦物語絵図(七夕のさうし)

あとがき
――ダンテの神曲、西遊記も数理表章を埋め込んでいる
本書の中核にある、数字に意味を持たせる編集方法は、ダンテが「神曲」の構成に用いた方法であり、近代以前には多くの人が数字には固有の数義があり、それと歌語の対応によって隠れた意味を表現できると考えていた。このことを最初に具体的に知ったのは2005 年頃の日伊協会での藤谷道夫先生の講演会でであった。2016 年に上梓された『ダンテ『神曲』における数的構成;藤谷道夫;慶応義塾大学出版;2016』には全100 篇の歌は地獄篇34、煉獄篇33、天国篇33 で構成され、その内部は数字を鍵にした整然とした構成が認められるとある。その内部については『『神曲』とは何か;村松真理子;別冊宝島;2016』によると数136 と145 が重視されているとあり、その説明として与数の和が10 になるからとあるが、平方数のことには触れられていない。だが、本書での考え方からは136=100+36、145=81+64 と分配できるから『神曲』の内部でも「平方数の和」は重視されていると考えることもできる。
一方で、与数の和が10 であることを重視するとすれば、「君が代」の本歌である古今343 は、7*7*7 の立体数であると同時に与数の和が10 であり、さらには回文数であるという、きわめて特異な数であることになる。また、富士山の標高3776m の与数の和は23 を経て5 となる。同様に比叡山848mのそれは20 を経て2 となるから日本を代表する最高峰と基準の山にふさわしい2 つの数章をえる。(大正時代になって確定されたという2 つの数字をもたらした三角点の設置者には最大の敬意を表したいものである)中国でも、元の時代から知られていた孫悟空の物語を、明代になってまとめた『西遊記』には数秘術が隠されている。『西遊記の秘密;中野美代子;福武書店』によれば、全100 回で構成される物語の1 回目に紹介される花果山の周囲は2 丈4 尺で、高さは3 丈6 尺5 寸と明記されている。つまり、中国伝統の1 日100 刻制と世界標準である1 日24 時間、年周日数365 日をかかげて物語は始まる。そしてユリウス暦の年周日数365 は、平方数の和(365=1+4+16+36+64+100+144)である。したがって、平方数の和へのこだわりがあると考えることもできる。
今回も前著に引き続いて万葉集から新古今和歌集まで、そして伊勢物語、源氏物語における数理へのこだわりを抽出したが、今後は世界史レベルで、文芸作品に込められた数へのこだわりから、それぞれの文化の基底にある数理と形態の表章世界が読み解かれる日が来ることを願ってやまない。
なお、本書の方法は、デカルトの枚挙法と、ルース・ベネディクトの文化の型の探求を主軸に行っている。この二つの方法の有効性を確信するためには20 世紀の情報科学の中の最良の仕事人である渡辺慧と松本元の初級者向けの解説書を必要とした。すなわち「固有名」から単一の語義を引き出すこ
とは困難であるということである。万35 の歌意はそのことを明確に述べて
いる。とく重要な語が「という」で、これによって共同体の中で合意事項と
して「名」があることを云っている。だからこそ、百人一首では、あえて持
統天皇の歌万28 を改変して「とふ」を入れている。
【万35】――阿閇皇女
これやこの大和にしては我が恋ふる木路にありという名に負ふ勢の山
【2 番】――持統天皇
春すぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山
また、万27 はそのことを前提に新しい語彙をつくりだし、使い込んでい
くべきことを宣言している。
【万27】――天武天皇
淑き人の良しとよく見て好しと言いし芳野よく見よ良き人よく見つ
だが、斎藤茂吉をはじめとする伝統歌学者によって黙殺されてきたこの天皇御製歌の評価を転倒するには勇気が必要だった。その背中を押してくれたのは「言語論的転回」という思想潮流と、北斎の「姥がゑとき百人一首27枚」のいくつかの対絵に隠された天武天皇一家への尊崇の主張だった。これが狂歌的理解であり、「浮言綺語」の正統な認識である。
本書がなるについては多くの方の世話になった。
最初の『狂歌絵師北斎とよむ古事記・万葉集』をこころよく出版していただいた批評社のスタッフの皆さんには、出版については、全くの素人の原稿を後押ししていただき「感謝」の一言しかない。また最初の本について、忌憚のない意見をよせて励ましていただいた多くの方にも御礼申し上げます。

2020 年3 月

岡林みどり

目次

百人一首抄と百人秀歌の一覧…………1
プロローグ
――百人一首抄と百人秀歌、2 つの三十六歌仙集、伊勢物語と源氏物語…………9
第一部
百人一首の図像学
1 章
北斎の「百人一首姥がゑとき27 枚」について…………………………23
1-1 「百人一首姥がゑとき27 枚」の構成……24
1-2 「百人一首姥がゑとき27 枚」発行の時代背景……34
2 章
宗達から北斎を照射する……………………………………………………………43
2-1 俵屋宗達の「蔦の細道図屏風」から北斎の「姥がゑとき」を照射する……44
2-2 源氏物語絵図屏風対「澪標・関屋」から北斎の「百人一首姥がゑとき」を
照射する……50
2-3 細道によって結ばれる「百人一首姥がゑとき27 枚」と「冨嶽三十六景」……58
3 章
江戸期における「百人一首抄」と「百人秀歌」…………………………60
3-1 宗達と嵯峨本百人一首から契沖へ……60
3-2 光琳カルタの隠したものと顕わしたもの……63
3-2-1 百人一首の2 つの配列……63
3-2-2 ぞろ目歌について……77
3-2-3 百人秀歌で大切な数章……83
3-2-4 同番号の11 首歌について……87
3-3 春道列樹の「しがらみ」の歌は32 番におかれている……89
3-3-1 漢数字と算木法……89
3-3-2 伝本阿弥光悦作「子日蒔絵棚」の意匠をよみとく……90
??浮言綺語と黄金比の組み合わせ
4 章
「まめやか」とは何か……………………………………………………………………96
4-1 契沖の「百人一首改観抄」の革新性……96
4-1-1 「百人秀歌」の配列をもとに「百首抄」を配列する……96
4-1-2 血縁の連と俊成の歌番の重要性……101
4-2 「百人秀歌」の主役は藤原定家と定子皇后……106
4-3 「百人一首抄」の主役は藤原公任と相模……111
4-3-1 文屋康秀と二つの三十六歌仙集……112
4-3-2 猿丸大夫の連と蝉丸の連……116
4-3-3 公任55 と相模65 は万355 の謎解き……122
4-4 暦法の変遷と算術の普及活動……128
4-5 古今和歌集にみる暦法関連の数章……131
第二部
和歌伝承における数理表章の多様性と一貫性
5 章
絵巻物語「天稚彦物語(七夕のさうし)」の重層性………………137
5-1 専修大学本「天稚彦物語絵巻(七夕のさうし)」……137
5-2 宵の明星・明けの明星……145
5-3 古事記の「天若日子」……147
5-4 京都のしつらいにみる天の川のイメージ……151
5-4-1 冷泉家の乞巧奠のしつらえ……151
5-4-2 清涼殿庭から新宿御苑へ……153
6 章
後水尾院の御所伝授を考える……………………………………………………158
6-1 後水尾院の花菱紋の意義……158
6-2 仙洞御所庭園の2 つの橋;六枚橋と八つ橋……162
6-2-1 六枚橋は古今和歌集の顕彰……162
6-2-2 八つ橋は伊勢物語の顕彰……169
6-3 修学院離宮のひふみ石と中茶屋のしつらえ……179
6-3-1 数理表章としての市松模様……179
6-3-2 浴龍池の千歳橋と光琳カルタ……183
コラム
カシオペア5 星の形象と北斎の19 枚目の絵柄……185
7 章
万葉集にみる数理数章………………………………………………………………189
7-1 天武持統両天皇と阿閇皇女の歌3 首;万27、28、35……190
7-2 万96?万100 にみる方円数……191
7-3 歌語「蟻通」に表象される度量衡数……193
7-4 三角数;イナサ、イナミ、イナキ……194
7-5 巻8 の春相聞における藤原廣嗣と娘子との桜についての対歌……202
7-6 勅撰、準勅撰の和歌集の総歌数の連関……209
第三部
万葉集の「梅花歌三二首并序」から万葉集を照射する
8 章
「梅花32 首」の外部連関を考える……………………………………………212
8-1 梅花32 首(巻5)を園梅賦39 首の連番歌としてよむ……215
8-2 少貳小野老の万328(巻3)から始まる40 首をよむ……220
8-3 大貳小野老の万958(巻6)から始まる40 首をよむ……228
8-4 歌語「むつきたつ」の万4137(巻18)から始まる40 首をよむ……234
8-5 梅花32 首の外部連関を読み終えて……245
エピローグ
――万葉集の天皇御製歌と大伴家持をつなぐ北斎の狂歌力…………251
索引…259
文献…261
あとがき
――ダンテの神曲、西遊記も数理表章を埋め込んでいる…………263

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