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「出逢い直し」の地域共生社会[上巻] MHL41[メンタルヘルス・ライブラリー]

  • 中島康晴緒
  • 価格 2200+税円
  • 判型:A5判、235ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0708-0
  • 初版発行年月 2019年11月10日
  • 発売日 2019年11月12日

内容紹介文

社会変革をめざし地域共生社会を実現するためにはソーシャルワークが不可欠である。
なぜならば、ソーシャルワーカーは「社会変革」によって明確に定義づけられている唯一の専門職であるからだ。地域共生社会の実現のためには、希薄化した社会的連帯という「障壁」を乗り越えていかなければならない。これは制度・政策からは改善し難い「障壁」であるがゆえに、ソーシャルワークの実践が希求されている領域である。
これからのソーシャルワーカーには、実践領域において制度・政策をどのように運用していくべきか、その姿勢と創造力が問われてくる。その実践の堆積によって、制度・政策の再生産・再創造を促す提言力も求められるだろう。
ソーシャルワーカーの国家資格の一本化への政策提言。

<上巻>
【はじめに】

●ソーシャルワークと地域共生社会

本書は、ソーシャルワークの実践家によるその方途と政策提言の書である。実践家でありながら、実践に拘泥することなく、理論や政策に対しても積極的に提言を試みていく。本書には大きく二つの目的がある。
第一に、ソーシャルワークの根源論を展開し、ソーシャルワークのアイデンティティを確認することにある。そこで、懸案事項として浮上するのは、ソーシャルワークにおける「社会変革」の不在の問題だ*1。この「社会変革」の停滞を乗り越えるべく、すべてのソーシャルワーカーが関与するであろう地域包摂・地域変革の重要性と一つの方法を検証していきたい。
第二に、この地域包摂に向けた展開において避けては通れない政策として「地域共生社会」を取り上げる*2。政府の狙う「地域共生社会の実現」の危険性と可能性に着目し、整理を行ったうえで、ソーシャルワークに依拠した、即ち、人間の権利擁護に資する真の地域共生社会を模索していく。
このような遠大な題材を一冊の本にまとめ上げること自体が私の特質として難しく、結局は、紙幅を大きく超過してしまう。そこで、批評社の皆様のご厚意もあり、この一冊の書を『上巻』と『下巻』の二冊に両分のうえ出版する運びとなった。以上の経緯から、『上巻』と『下巻』に分冊されているとはいえ、やはり本書は、ひとつの題材を取り上げた「一冊の本」である。よって、本書という場合、それは『上巻』『下巻』を同時にさす言葉となるだろう。
* 1 ソーシャルワークの「社会変革」については、凡例3 参照。
* 2 「地域共生社会」「地域包括ケア」の表記については凡例10 参照。

『上巻』では、ソーシャルワークの課題、特に「社会変革」とこの動きと深くかかわるソーシャルアクションに対して、その停頓の要因とそれを乗り越えるための方策を検討していく。そして、この「社会変革」の閉塞を打破するために、その対象として、マクロ領域や権力・権限保有者に限定的な従来型の方途にばかり頼るのではなく、すべてのソーシャルワーカとしての地域へ着目することの切要性とその接近方法の指針を提示していきたい。
もう少し具体的に言うならば、この指針の狙いは、地域における人びとのアイデンティティや関係構造の変容を促進することの重要性を共通理解することとその方法を確立することにある。それは、地域で暮らす多様な立場の人びとによる「出逢い直し」を経由して、相互理解・学習を促進することで、その関係を排除から包摂へと昇華させていくことや、異なる立場にある他者と痛みや喜びを分かち合える地域社会を創出するための方途となる(『上巻』「三章『出逢い直し』による社会変革の促進」)。
他方で、殆どのソーシャルワーカーは、社会福祉関連法に基づく事業の運営主体に雇用されている。このような立場に置かれたソーシャルワーカーによる地域包摂・地域変革を伸展させていくためには、やはり、制度的な枠組みと連関させながら、その実践を後押しすることを考えざるを得ない。言うなれば、制度をいかにして、人間の権利擁護の「道具」として用いるのか、その戦略が求められることになる。そこで、避けては通れない主題として、「地域包括ケア」と「地域共生社会」が浮上してくる。「地域包括ケア」については、前著『地域包括ケアから社会変革への道程【理論編】【実践編】』(批評社)がこれに対する一定程度の役割を担ってくれていると考える。
そこで、本書では、「地域共生社会」に照準を定め、人間の尊厳保障に資する地域変革・地域包摂の展開を描いていく。そのために、まず、政府による「地域共生社会」を俎上に載せ、その危険性と可能性について整理を行う。そのうえで、『上巻』で描いていくソーシャルワーカーによる地域変革・地域包摂の方針を、「地域共生社会」とどのように関連づけ進展させていくのかについて議論を進めていきたい。
『上巻』の後段で指摘していくが、政府の意図する「地域共生社会」は、給付抑制や選別主義・限定主義に依拠しているという点において、野放図には受け入れられない問題を孕んでいる。よって、ソーシャルワーカーとしては、これを額面通りに用いるわけにはいかない。もしそうなれば、私たちの実践が、人間の尊厳保障と背理した結果を招きかねないからだ。よって、私たちには、この「地域共生社会」の負の側面に最大限注意を払いつつ、その可能性に着眼し、実践において進展させていくことが求められる。
そのために、『下巻』では、まず初めに、この負の要素と正の側面を丁寧に整理していく。次に、この整理をもとに、その欠陥を補い潜在力を開花させるための具体的な実践を、私たちの実践事例を題材としながら、考察していくことにする。このことによって、「地域共生社会」をすべての地域住民の尊厳が保持されたものへと誘うことができると思う。
最後に、真の地域共生社会の実現に寄与するソーシャルワークの展望について、ソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保健福祉士)の養成カリキュラムや法における定義、専門職団体のあり方に対し、ややもすれば挑戦的な内容になるかもしれないが提言を行うことにする。なぜこのことが必要とされるのかと言えば、これらを変革していかない限り、「社会変革」を中核に据えたソーシャルワークの展開が、抑制され衰退している現下の事態を突破することができないからだ。以上のことから、現代のソーシャルワーカーには、この呪縛から解き放たれることと、真の地域共生社会を現実のものとする方法を確立していくこと、この両者の共同歩調をとることの必要性を主張していく。
本書の立ち位置は、国家・世界領域の情勢を捉えながらも、飽く迄も、地域変容の方途を追究していくものとなっている。このことによって、ソーシャルワークにおいて沈滞が続いている「社会変革」にかかる展開を確立・伸張させ、私たちソーシャルワーカーの手に、本物のソーシャルワークを取り戻すことを志向するものだ。「社会変革」の捨象されたソーシャルワークが、ソーシャルワークとは呼ばれることはない。やはり、「その意味において、日本に本物のソーシャルワーカーはいない」のだろう*4 。
この現状を超克するために、日本のソーシャルワークが目指すべき地点として、まずは、「社会変革」の実践を敷衍していくことが重要であり、そのためには、その起点にある地域変革・地域包摂の方途を明らかにしていかなければならない。本書の狙いはまさにここにある。

●高まるソーシャルワークへの期待

そして、私は、この基盤の整備とともに、その先にあるソーシャルワークの展望を夢見ている。新自由主義の浸透により、「社会保障等」の人間の社会的権利を保持する制度・政策が減退し、貧困が蔓延しつつも固定化され格差が拡大している*5。これに加えて、社会的連帯の希薄化と共にコミュニティは崩壊に向けた一途を辿り続けている。ノーム=チョムスキーが指摘するように、いわゆる中道が先細り、「右」と「左」が同時に急増している*6。まさに分断社会の到来だ。
* 4 ラジェンドラン=ムース「アジアにおける日本のソーシャルワーカーの役割」第13回日本社会福祉士会全国大会・社会福祉士学会 記念講演 2005 年6 月4 日サンポート高松
* 5 人間の暮らしや社会的権利に大きな影響を及ぼす「雇用・労働・教育・住宅・文化・芸術・自然環境保全・防災など」の制度・政策と社会保障を総じて「社会保障等」と表記する。社会保障に限定して用いる場合はこの限りではない。

この分断社会の只中で、家族や地域の機能が明らかな限界に到達しているにもかかわらず、本来であれば政府・自治体が対応すべき領域を、「自助」「互助」の名目によって、その責任を人びとに肩代わりさせようとしている。当然にこのような政策は、人びとの将来不安を助長していく。2018年9 月に実施された特定非営利活動法人言論NPO による調査でもこの点が如実に表れている。この調査では、人びとの将来に対する不安感の増大と、「政党」・「国会」・「政府」に対する信頼の瓦解が明らかとなっている*7。
このような混乱の渦中にある社会にどのような対処を施していけばよいのか、その手立てを社会は見失っている。そこに、少子高齢化が到来し、この悪循環を加速化させているのだ。
ソーシャルワークは、そんな社会の道標になれるかも知れないと私は本気で考えている。旧来から限定主義・選別主義に依拠してその対象者を求めてきた社会福祉であるが、いまや時代背景をもとに、教育・司法・住宅・雇用・多文化・環境の分野にまでその役割が希求されるに至っている。ソーシャルワーカーの活躍の場は、これからも確実に拡張していくだろう。

* 6 國枝すみれ「論点 民主主義の行方 インタビュー ノーム・チョムスキー アリゾナ大教授(言語学)」『毎日新聞』2019 年1 月11 日「世界で起きているのは中道勢力の衰退だ。右翼だけでなく、左翼も勢力を拡大している。ドイツの左派『緑の党』への支持が急伸しているし、サンダース米上院議員やコービン英労働党党首への支持も拡大している」。
* 7 例えば、「日本の将来をどのように見ているか」の項目では、「日本の近い将来を予測してもらったところ、『今と変わらない』(34.2%)との回答が最多となるが、『今よりも悪くなる』との回答も32.8% にのぼり、両方の回答が3 割を超えて拮抗している。『今よりもよくなる』は10.3% と1 割にすぎない」とある。また、「民主主義体制を支えるどの機関を信頼しているのか」との問いに対しては、「日本国民が最も『信頼していない(「全く」と「あまり」の合計)』機関は、『宗教団体・組織』(70.6%、5 ? 6 月:66.9%)である。これに『政党』(66.3%、5 ? 6 月:71.2%)、『国会』(61.9%、5 ? 6 月:7.4%)、『政府』(56.8%、5 ? 6 月:61.2%)、『メディア』(53.3%、5 ? 6 月:55.5%)、『首相』(52.5%、5 ? 6 月:7.4%)までが5 割を超えている」としている。特定非営利活動法人言論NPO「日本の国民は、自国や世界の民主主義をどう考えているのか―日本の民主主義に関する世論調査/有識者調査―」2018 年11 月21 日ttp://www.genron-npo.net/future/archives/7106.html

そして、この背後には、社会福祉の対象者における選別主義から普遍主義への変換がある。このように考えれば、これから述べていく先進国の実情と同様に、「社会福祉」という言葉自体用いることをやめた方がよい時期に来ているのかも知れない(『上巻』「四章 ソーシャルワークの中核に位置する『社会変革』」)。井手英策は、このような人間のニーズに対応するサービスのことを「ベーシック・サービス」と言っている*8。ソーシャルワーカーの対象は、社会福祉からこの「ベーシック・サービス」への転換を迎えているのだ。
これに相まって、本格的な労働力人口の減少が始まるなか、翻って、社会福祉人材は増大の一途を辿っていく。労働力人口は、女性と高齢者の就業率の向上を巡って、昨今までそれほど減少せずに保たれてきたが、今後急激な減少に見舞われる可能性が否めない*9。そんななか、必然的に確保を進めなければならないのが社会福祉人材となる。このことによって、政治や行政領域においても、社会福祉専門職の存在意義が今後ますます高まっていくことに疑いの余地はない。
上記は、ソーシャルワーカーに限定的な話ではなく、社会福祉専門職の台頭の可能性を示した記述であるが、その中核的な役割を担うのがソーシャルワーカーであることは明々白々であろう。なぜならば、児童・障害・高齢・貧困・司法・教育・雇用・住宅などの非常に多岐にわたる分野にソーシャルワーカーは従事しており、かつ、こちらの方がより核心的だが、社会環境の変容をその仕事の射程に収めている唯一の専門職であるからだ。
* 8 ここでいう「社会福祉」を超えたサービスが、以下の「ベーシック・サービス」と符合することが確認できる。「僕たちは、社会の分断を解消するために、社会のメンバーに共通するニーズを探しだし、そのために必要な財源をみなで負担しあう道を模索しなければならない」。「すべての人びとが必要とする/ 必要としうる可能性があるのであれば、それらのサービスはすべての人に提供されてよいはずである。また、そのサービスは、人びとが安心して暮らしていける水準をみたす必要がある。これらを『ベーシック・サービス』と呼んでおこう」。井手英策(2018)『幸福の増税論―財政はだれのために』岩波新書、p.83-84
* 9 この点、中西寛は以下のように的確な現状認識を示している。「平成10(1998)年ごろには15 歳以上65 歳未満の生産年齢人口が減り始め、平成20 年ごろには日本の総人口が減少し始めた。これに対して労働力人口は平成の後半以降ほぼ横ばいだ。労働力人口は15 歳以上で報酬のある仕事をしたり、その意欲のある人と定義されるので、専業主婦が報酬を得る仕事をするようになったり、高齢者が引退せずに雇用されたりすることで維持されてきたのである」。中西寛「時代の風 無意識の壁を取り払う 「国語」と「日本語」の間」『毎日新聞』2019 年1 月13 日

この点を鑑みても、行政機関の指導者、政治家、評論家の間に、ソーシャルワーカーが台頭する日はそう遠くはないだろう。ソーシャルワークの「社会変革」の可能性は日増しに高まっているのだ。

●好機をつかむために

他方で、多くのソーシャルワーカーは、このことに気がついていないように思われる。津々浦々でその実践を展開しているソーシャルワーカーは、眼前の仕事に傾注し、社会環境への意識が決して高いとは言えない状況にある。そのような仕事ぶりでは、当然の帰結として、「社会変革」へ意識が向かないし、上記の好機など見落としがちとなるのだろう。
であればこそ、ソーシャルワークの未来にあるべき雄飛を成し遂げるためにも、ソーシャルワークの「社会変革」の進展は決して欠くことのできない一里塚となる。これを敷衍することによってこそ、ソーシャルワーカーに社会環境への着目とこの時代の好機に対する自覚を促せるからだ。よって、本書の大きな要旨は、将来の「社会変革」の担い手の「一人」としてソーシャルワーカーを位置づけつつも、その道筋に乗るためには、ソーシャルワーカーが社会環境に関心を寄せることと同時に、その変容力を併せ持つ必要があることを示していくものとなる。
さらに言えば、ソーシャルワークによるこの「社会変革」を勃興するためには、すべてのソーシャルワーカーが避けては通れない地域社会への働きかけを明らかとする必要があるだろう。かてて加えて、ソーシャルワーカーが、「支配的な思想」「優位的価値規範」を含意した社会環境に対して、物怖じすることなく対峙するためには、不当な扱いに対する怒りや理不尽な出来事を決して看過しないという確たる信念及びその不条理を「人びと」の視座から穿つ社会構造への理解、即ち、社会学と障害学の知見が不可欠となる。

●多様な方途を併せ持つ「社会変革」

「社会変革」の伸展に向けた大きな趨向は、不当に対する怒り、社会構造への着目と理解、地域包摂・地域変革の取り組み、制度・政策・「優位的価値規範」への働きかけ、国家・世界領域の変革という流れが一つ想定されるのではないかと勝手ながら考えている。もちろん、これらはすべて直結しているがゆえに、個別の実践場面において、どの範疇に焦点を合わせても問題はない。また、必ずこのような順序で進めるべきものでもない。例えば、不当に対する怒りからいきなり国家・世界領域の変革へ働きかける実践もあり得るだろう。
ここで私が示した潮流は、飽く迄も一つの形象にすぎない。しかし、私のなかにこのような心象があることを既知いただいていれば、本書のその時々に描かれている事柄から表出される以下で示すような矛盾点を然程感じず読み進めていけるかも知れない。特に、『下巻』においては、政府による「地域共生社会」から、地域における個別支援の展開、そして、最後に広い視野におけるソーシャルワークの展望を描いていくため混乱が生じてしまう恐れがある。
例を挙げれば、「怒り」に委ねて闘争・糾弾するだけの社会変革は従来型であり、その実践に陥穽があると言いながらも、一方では、この「怒り」の重要性を主張していたりもする。セクト主義や排外主義、イデオロギーに依拠した従来型の「社会変革」に批判的な論及をしながらも、このような「社会変革」の切要も同時に説いてもいるのである。
このような矛盾点はどこから生起されているのだろうか。それは、「社会変革」が、決して、定型化された一つの方途を指すものではないことに依拠している。つまり、「社会変革」は、ソーシャルワーカー自身の個性・専門性やソーシャルワーカーの置かれている状況(制度や所属組織の体質など)、また社会の成熟度に応じて、その都度方法を変遷させていくべきものとして捉えておく必要がある。このことは、ソーシャルワークが、「アート(art)」であり、マニュアル化できるものではないと言われてきた証左ともなる。
社会に一定の理解や成熟がみられるにもかかわらず、旧態依然とした「怒り」を基盤とする高圧的・闘争的な接近では、却って、論議が深まらず、皮相的な変革や対立の固定化に終始してしまう恐れがある。他方で、社会構造における本質を踏まえることなく、目先の経験的価値に心を奪われ技術論や方法論に傾注してしまえば、「優位的価値規範」への迎合と問題の潜在化に" 寄与" してしまうだろう。このように「社会変革」には、なかなか言語化の難しい妙が含意されている。

●「社会変革」という言葉の取り扱い

本書は、一貫して「社会変革」を中心に描いていく。しかし、言わずもがな、「社会変革」の主たる担い手は人びとであって、ソーシャルワーカーではない。「ソーシャルワーク(専門職)のグローバル定義」にもあるように、ソーシャルワーカーは、「社会変革(中略)を促進する」立場にあるわけだ。そのことを前提としつつ本書では、表現上の煩雑さを避けるために「社会変革」と表現している。しかし、このことは忘れてはならない重要な観点である。
さらに言えば、「社会変革」という言葉自体が、その実践を妨げる可能性を孕んでいると言えなくもない。変革という言葉は、「革命」の負の側面を彷彿させる手垢の付いた言葉でもあるからだ。「変革する側」にとっては、自らを鼓舞することのでき得る言葉かもしれないが、「変革される側」にとってみれば、自らを外圧的に変えようとする勢力を認識するわけで、このことは確実に、変革に対する抵抗を生み出すだろう。この観点からすれば、地域変革といわれて、喜ぶ地域住民も少ないに違いあるまい。
しかし、やはり社会は絶えず変革してこそ維持されるものである。環境の変化と人びとの思想の変遷によって、社会は絶えず変化を遂げていく。第40 代ウルグアイ大統領のホセ=ムヒカの言葉を借りれば、「民主主義がすばらしいのは、永遠に未完成で、完璧にもならないからだ」*10 。このように私たちの社会には絶え間のない変化が求められている。よって、「社会変革」とは、何も特別な事柄ではない。今まさに社会は変革を続けているのである。
しかし、その変化は時に人間性の毀損へと向けられることもある。まさに、「すべての発展というのは変革を意味するが、すべての変革は発展であるわけではない」からだ*11 。この点に、ソーシャルワーカーは鋭敏に反応しなければならない。その変革が、人間の尊厳保障に連なるのか、その逆であるのか、私たちには、その結果に対する責任を抱きながら実践を展開していく使命がある。そこで、ソーシャルワークの「社会変革」で最も忘れてはならないのが、「排除される側」から社会を捉えることにある。パウロ=フレイレは、「被抑圧者」の「強み」ともとれる以下の事項を指摘する。

「抑圧されている人たちよりも、抑圧的な社会の恐ろしさを理解できる者がいるだろうか? 抑圧される者から生まれる力だけが、両者* 10  ホセ・ムヒカ(2015)『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』(くさばよしみ訳)、汐文社、P.50

* 11  パウロ=フレイレ(2011)『新訳 被抑圧者の教育学』(三砂ちづる訳)亜紀書房、を共に解放する強さをもちうるということを、抑圧された者以外によく知っている者が、他にいるだろうか? 自由の必要性を、彼らよりも切実に理解できる者が、どこにいるだろうか? 解放は偶然にもたらされるものではなく、解放を求める実践を通して、その闘いの必要性を認識し、再認識することによってはじめて解放に向かっていく」*12 。
* 12 パウロ=フレイレ(前掲* 11)P.24

そのことを念頭に置きつつも、確かに、ソーシャルワークが「社会変革」という言葉を用いる必要はないのかも知れない。社会が変遷することは当たり前のことであるし、人びとが忌避する素地の含まれた「社会変革」を敢えて用いる必要もないのだろう。また、上記のように、社会が誤った方向に流れないよう歯止めをかけることも「社会変革」には求められている。
変化を留めることによって、人びとの人権を擁護するという観点だ。安倍政権による「特定秘密保護法」「安全保障関連法」の施行や「組織的犯罪処罰法」の改定などはこの代表的な対象となるだろう。今後私たちは、「社会変革」に代わる言葉を探求していく段階に入るのかも知れない。
しかし、1982 年から国際定義の俎上に載せられてきた「社会変革」に対する議論の進展とこれに対する一定の共通理解の形成無くして、次の「段階」に進むことは許されないように思う。ソーシャルワークの中核にあるともいえる「社会変革」に対する共通理解の欠如は、確実にソーシャルワークの弱体化に逢着するからだ。よって、「社会変革」という言葉が孕む問題を踏まえながらも、本書では、まずは、衰退した「社会変革」の再興をはかるために筆を走らせることにする。第一義的には、ソーシャルワークが意図するべき「社会変革」の内実について、大々的な議論を伸展させ、協議の機会を敷衍し、共通理解の確立を志向していく。「社会変革」という言葉の問題を緩和していくための取り組みは、その先にあるべきだと考えているのだ。
もちろん最終的には、如上で記した「社会福祉」と同じく、「社会変革」の実相を普遍化させ、その言葉を使う必要のない時代も視野に収めていくべきだろう。繰り返しにはなるが、ミクロ・メゾ・マクロあらゆる領域における社会構造の変革は、これからも、ソーシャルワークと人間の尊厳保障において不可欠となる。よって、「必要のない」と述べたのは、わざわざ「社会変革」という言葉を使うまでもなく、これを別の言葉に置き換えるなどして、当たり前のこととして展開できるようにすべきだという意図にある。
実は、本書で示していく「出逢い直し」は、まさに、ソーシャルワークの「社会変革」と符合するものだが、それを「社会変革」といわずとも、確実にメゾ領域の変革がなされていく点に特徴がある。まさに「出逢い直し」は、「社会変革」の普遍化へと連なるだろう。今後このような「社会変革」に代わる言葉を私たちは模索しなければならないが、当面やるべきこととしては、「社会変革」のあるべき姿を確立し共通理解を果たすことが求められる。目指すべき未来の目標を視野に入れながらも、本書は、このことに貢献していこうと考えている。

●人間の権利擁護に立ちはだかる二つの壁

本書の題目「地域共生社会」における「共生」という言葉は実に便利な言葉でもある。「共に生きる」と単純に解釈してしまえば、その地域・国・世界において、すべての人間が一緒に暮らしていることだけをもって、「共生」がなされていると釈義できなくもない。この定義に従えば、独裁者と奴隷も「共生」することが可能となってしまう。よって、私たちは、そこに暮らす人びとの関係に焦点を合わせる必要がある。その関係に照らして、すべての人間の尊厳がどの程度保持されているのかを問うていかなければならない。であるならば、私たちの志向する共生には、地域で共に暮らしているだけの状態を指す「共住」ではく、互いの存在が尊重され、その尊厳が守られている「共存」もしくは、「共尊」という様態が含意されていることになる。
この「共存」「共尊」を実現していくために必要なこととして、本書では、二つの障壁を乗り越える必要を明示していく。一つは「社会保障等」の減退であり、今一つは社会的連帯の希釈という「障壁」だ。前者に対する提言も当然に行うが、本書のもう一つの主題である「出逢い直し」は、主に後者に照準を定めたものとなる。特に後者は、制度・政策からの接近だけでは改善・変容のし難い領域であり、であるがゆえに、ソーシャルワークの実践が希求されている対象であるといえるからだ。
印刷技術の発展から電子メールやSNS(social network service)などの伸張、そして、自動車の驚異的な普及によって人びとの「出逢い」の機会が低減している*13 。多様な価値観や立場の共通理解は、様々な他者との対話やかかわり、共体験によって培われるものだが、私たちの社会では、その機会が極端に奪われている。少なくとも日本においては、統計上10 人に1 人は障害者であるが、多くの健常者は、10 人に1 人の障害者の友人を有していない(『上巻』「二章 人間の尊厳保障を阻むもの」)。確かに、障害者と健常者は、同じ地域で暮らしている。しかし、その両者は「出逢って」いないのである。
このような「出逢いの不在」とも呼べる状況と他方で「出逢いの失敗」というべき事態が市井に溢れつつある。「出逢いの失敗」とは、それまで「出逢って」いない人たちが、認知症・障害・疾病等の暮らしの困難を通じて「出逢う」様態を指す。それは、認知症のBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia:BPSD「認知症の行動と心理症状」)や障害の「陽性症状」、疾病によるストレスなどによって、「人びと」が冷静に他者と向き合うことのできない状況下で、はじめて「人びと」と地域住民が「出逢う」ような場面にあたる。このような「出逢いの失敗」と「出逢いの不在」を乗り越える方途が「出逢い直し」という概念である。本書では、この「出逢い直し」の理論的裏打ちの確認と同時に具体的実践の検討までをも展開していく。
* 13 「出逢い」と「出会い」の使い分けについては凡例2 参照。

だたし、誤解を回避するために主張しておきたいことは、このことが、もう一つの障壁としての「社会保障等の減退」を度外視するものではないということだ。例えば、政府におけるソーシャルワークの議論の際も、「ニーズの多様化・複雑化」という表現が多用されている*14 。しかし、生活保護による保護率(利用率)・捕捉率の低さや相対的貧困率の高さを鑑みれば、私たちが、「ニーズの根源化・本質化」した問題においてさえも、未だ手付かずのまま放置している実態が浮き彫りとなるはずだ。
また、人権問題を凝視していけば、滞日外国人・LGBTQ・高次脳機能障害者・発達障害者など、今までもそのニーズは確然と存在していたが、社会が黙殺し等閑に付してきたものが顕在化したに過ぎないものも多く含まれている。よって、これらの領域では、「ニーズの表出化・顕在化」という方が、むしろ、実態に即しているといえるだろう(『下巻』「第七章 「地域共生社会」の危険性と陥穽」)。
加えて、「ニーズの多様化・複雑化」は、日本の社会福祉が、基礎的社会福祉の段階を解決し、次の段階に進化しているという心象を流布することへと連なるだろう。しかし、現実には、この本質的な社会福祉そのものも毀損され、放置されたまま社会は進捗しているのである。
以上みてきたように、「社会的連帯の希釈」への対応、即ち、社会包摂や地域包摂、「出逢い直し」などを強調することによって、未だに十分な解決をみていない根源的社会福祉の問題を粉飾化・隠蔽化させるようなことがあってはならない。従来からあるこのような根源的なニーズに加え、先述の抑圧・黙殺され続けてきたニーズに対する論点ずらしともとれる「ニーズの多様化・複雑化」の強調は、確実に社会福祉の退歩と人間性の毀損* 14 厚生労働省 社会保障審議会福祉部会 福祉人材確保専門委員会「ソーシャルワーク専門職である社会福祉士に求められる役割等について」2018 年3 月27 日へと連なるからだ。社会福祉の不在に対するこれまでの罪を、清算することなくその反省もないままに、このような根本的な問題を度外視しつつ、次の段階に" 昇格" しようとしているという点において、「ニーズの多様化・複雑化」という捉え方は、殊に悪意に満ちた表現であるとさえ判じることができるだろう。
話をもとに戻すが、人間の尊厳を毀損する二つの障壁、この双方に対する介入が、ソーシャルワークに求められている。そのことを前提としつつ、多くのソーシャルワーカーの実践と関連する「社会的連帯の希釈」にかかる領域に焦点を定めるのが本書である。しかし、焦点化の均衡・強弱のあり方如何によらず、このような人間の尊厳保障に向けた地域共生社会の実現を担う中核的人材が、ソーシャルワーカーであることに疑念を挟む余地はないだろう。この地域共生社会へ接近するためには、社会の変容を促進していかなければならず、制度・政策への介入やその他個別の実践領域であれ、ミクロ・メゾ・マクロのどの領域であっても、その変化を促進する専門職は、ソーシャルワーカーを措いて他にはいないからだ。少なくとも、ソーシャルワーカー以外で、「社会変革」によって明確に定義づけられている専門職の存在を私は認識していない。このことを逆説的に捉えたならば、ソーシャルワークが中核に置かれていない地域共生社会は、画餅に帰すことになるといえるだろう。

●ソーシャルワークの確立と人間の尊厳保障のために

このように考えれば、真の地域共生社会の実現のためにはソーシャルワークが不可欠であるし、また、ソーシャルワークの伸展に対しても真の地域共生社会がその端緒となり得ることが確認できる。このようなソーシャルワークと地域共生社会の相補性を発揮させることで、人間の権利擁護を地域から社会へと敷衍していく。これこそが本書の描くべき光芒となる。そのためには、政府の示す「地域共生社会」を上記のように機能させていくためのソーシャルワーカーによる努力が求められるはずだ。これは、制度・政策を運用・実践面において改良していく試みでもある。『下巻』では、このための方策について踏み込んで論及していく。
如上で叙述したように、「地域共生社会」には、対象者の選別化・限定化や地域住民のサービス提供者化を軸足に据えた費用抑制が内含されている。だからといって、私たちは、この「地域共生社会」を度外視することなど決してできないだろう。それは、多くのソーシャルワーカーが、社会福祉関連法の事業を運営する主体に雇用されているためだ。もちろん、このような状況下において、社会の変革を促すことは決して容易なことではないかも知れない。しかし、これを志向しなければ、私たちは、ソーシャルワーカーではなくなってしまう。
よって、これからのソーシャルワーカーには、制度・政策にどの様に使われるのか、ではなく、実践領域においてこれをどのように運用していくべきか、その姿勢と創造力が問われてくる。さらに言えば、その実践の堆積によって、制度・政策の再生産・再創造を促す提言力も求められるだろう。他方で、自明の理として、ソーシャルワーカーが社会化されている以上、制度や政策を使っているつもりが、単に利用されているだけの状況に陥ることも十二分に想定される。であるがゆえに、このことを回避するためのスーパービジョンやコンサルテーション、ネットワーキング、コーディネーションの機能はその要諦となるだろう。以上の視座と方途の確立なくして、多くのソーシャルワーカーが、「社会変革」、即ち、ソーシャルワークを伸張させることは難しい。従って、本書では、多くのソーシャルワーカーが遭遇しているであろうこのような現実的場面におけるソーシャルワークの「社会変革」を後押しするための方途の開発を問題意識の核心に置いている。特異な立場にあるソーシャルワーカーが、その彼にしか成し得ない「社会変革」を追究するのではなく、多くのソーシャルワーカーが、彼らの置かれている状況下においても、発揮し得る「社会変革」を顕現させようとするものである。なぜならば、一部のではなく、実に多くのソーシャルワーカーが、「社会変革」を手中に収め、真にソーシャルワーカーとなることなくして、ソーシャルワークの確立も人間の権利擁護もどうりで実現し得ないからである。

【著者略歴】
1973年10月6日生まれ。花園大学では、八木晃介先生の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心をもって捉えている。いわゆる排除される側から常に社会を捉え、社会の変化を促していくことが、実は誰もが自分らしく暮らしていける社会の構築に繋がると信じている。
2006年2月20日、特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前を端緒として命名。代表理事。2018年9月5日には社会福祉法人地域の空を設立し理事長に就任。
著書として、『地域包括ケアの理論と実践―社会資源活用術』 (単著)(2014年・日本医療企画)・『地域包括ケアから社会変革への道程【理論編】 ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践形態』(単著)(2017年・批評社)・『地域包括ケアから社会変革への道程【実践編】 ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践形態』(単著)(2017年・批評社)、『ソーシャルワーカー 「身近」を革命する人たち』(共著)(2019年・ちくま新書)がある。

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