TOP 性差別と医療・福祉・社会 障害者排除の論理を超えて─津久井やまゆり園殺傷事件の深層を探る

障害者排除の論理を超えて─津久井やまゆり園殺傷事件の深層を探る

  • 阿部芳久著
  • 価格 2600+税円
  • 判型:A5判、256ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0694-6
  • 初版発行年月 2019年4月10日
  • 発売日 2019年4月12日

内容紹介文

はじめに

 筆者は大学院を修了後、宮城県の光明養護学校において知的障害児の教育に携わり、その後、仙台市立荒町小学校で自閉症の子どもたちの教育に携わった経験をもつ。教育現場の経験を生かして、東北福祉大学において31年間、特別支援教育の教員養成の仕事に携わることになる。著者が特別支援教育についての勉強をはじめ、障害のある子どもたちと関わるようになってちょうど50年の歳月が経過した。
 東北福祉大学では知的障害教育と自閉症児の教育に関する講義を担当した。それらの講義の初回の講義の時に、毎年、学生たちに課題を出した。その課題とは、障害のある子どもたち、障害のある人たちがこの社会に存在する意義や価値について考察を深めよ、という課題だ。もし、障害児・者がこの社会に存在する意義や価値がなければ、これからその人たちを教育しようとするあなたたち(学生)の行おうとする仕事も意義や価値のないものになってしまう。自分の仕事の価値、あるいは意義を問うためにも、障害児・者がこの社会に存在する意義や価値について考察するように、と伝えていた。
 そのように長年にわたり学生たちに課題を与えていたのだが、気づいてみると、その課題について筆者自身が深く考察することがないまま退職を迎えることになっていた。自分の頭の中にはおぼろげながら、障害児・者の存在する意義や価値について考えていたつもりであった。
 筆者のゼミの卒業生から、平成30年2月11日に筆者の最終講義の機会を設定するので、講義の準備をしておくように命ぜられた。折しも、平成28年7月26日に戦後最悪の障害者殺傷事件が起きていた。津久井やまゆり園殺傷事件である。この事件の植松被告は「障害者って、生きていても無駄だ」と主張し犯行を実行した。また、平成30年1月に、宮城県の60代の女性が、旧優生保護法に基づき、国が知的障害などを理由に不妊手術を強制したのは個人の尊厳や自己決定権を保障する憲法に違反するとして、国に損害賠償と謝罪を求める全国初の訴訟を仙台地方裁判所に起こした。そして、過去に行われた強制不妊手術の実態が次々と明らかにされていった。筆者が最終講義を行う機会に、津久井やまゆり園殺傷事件、及び障害者の強制不妊手術の問題と関連させて、障害児・者がこの社会に存在する価値について考察しようと考えた。実は「障害者って、生きていても無駄だ」と考える人は植松容疑者だけとは限らない。現在の我が国の社会の根底にこのような考えをもつ人が少なからずいる、潜伏しているということが、さまざまな事件を通して顕在化することがある。障害児・者がこの社会に存在する価値について明示することは障害児・者の存在を否定する人たちへの反論でもある。
 障害児・者の存在を否定する人たちへの反論として、その人たちが抱く考えがいかに不合理なものであり、社会を劣悪なものに導いていくかということを主張するという方法がとられることがある。しかし、最も効果的なのは、障害児・者がこの社会に存在する積極的な価値を、実際に具体例をもって示すことであると考える。障害者は、私たちの健全な社会を構築するために一定の役割を果たしており、その存在は社会にとって不可欠の価値をもつということを示すことであると考える。
 最終講義の時、筆者のゼミの卒業生を中心に150名の人たちが参加してくれた。この著書の第三章「障害者が存在する価値について」の内容を話す前に、聴講者に、自分の生活の中で障害のある子どもたち、大人の人たちと接して、自分の価値観や人生観を変えさせてもらった経験のある人は挙手するよう求めた。すると、ほぼ全員が挙手するという光景を眼にすることができた。筆者自身も、障害のある子どもたちや大人の人たちと接したさまざまな機会を通して、自身の価値観や人生観を変革してもらった一人である。感動的な心に残る経験を数多く与えてもらった。そのような経験をベースにして児童文学を執筆することもあった。
 筆者は自分の専門領域である知的障害児の教育や自閉症児の教育に関する著書を、過去に幾冊か上梓してきた。しかし、本著に示した内容の著書を執筆するのは初めてである。従って、一から勉強することを強いられた。社会福祉学、法学(憲法学)、遺伝学、生命倫理学、哲学、教育学、宗教学、それらの学問領域の論文や著書、および障害児・者に関わる手記などを手当たり次第探索した。そして、それらの資料の中から自分の主張を論拠づけてくれるものを抽出して、論を展開していった。その論を展開する際に筆者が重視したのは、自身の本能的、あるいは生理的ともいえる感情である。
 過去に、そして現在も障害児・者と関係するさまざまなことがらが起きている。例えば、過去にはナチス・ドイツの障害児・者安楽死作戦や、現在では津久井やまゆり園殺傷事件などである。そのようなことがらには本能的、あるいは生理的な忌避感を抱く。また、延命が無利益だとして障害新生児に積極的治療を差し控えることがあるが、そのようなことには違和感をもつ。一方、障害児・者と一緒に行動をしているときに、言葉では表現できない共感や安らぎ感を抱くことがある。これらの感情を大事にして、本著の論を展開していった。
 障害者の問題に関わる過去に出版された著書のほとんどは、一つの領域からの主張によって展開されている。本著は、筆者の専門領域以外の領域にまで足を踏み入れ、文献を探索した。結果的にそうならざるを得なかったのだが、それは障害者に関わる問題の性格を反映しているからだと思われる。というのは、障害者に関わる問題は、哲学、社会学、遺伝学、生命倫理学、法学(憲法学)、宗教学等のさまざまな領域から俯瞰的に問題を把握する必要があるからである。
 本著の構成は以下に示すとおりである。第一章では、津久井やまゆり園殺傷事件、及び障害者を対象とした強制不妊手術が行われた経緯やその背景について詳述していく。それらを探っていくと、現在のわが国の障害者をめぐる問題点が浮き上がってくる。第二章では、津久井やまゆり園殺傷事件や障害者強制不妊手術において示されている障害者の存在を否定し排除する考え方が歴史的にどのような視点から形成されてきたのか、その背景、および問題点について述べる。また、植松被告の「障害者は不幸を作ることしかできない」という主張が本当にそうであるか検討する。第三章では、障害者は一人ひとり、固有の価値を持っていること、そして、健全で安らかな社会を構築するために一定の役割を果たしており、その存在は社会にとって不可欠の価値をもつということを、さまざまな具体例をもって示す。本来であるなら、障害者の存在する価値をことさら強調することは不自然なことである。特に、障害当事者、及び障害のある人と日常的に関わっている人たちには違和感をもたれるかもしれない。しかし、我が国では、いまだ障害者の存在を否定し、排除しようとする考えをもつ人たちが少なからず存在することも事実だ。障害者が存在することによって健全で安らかな社会が構築されていることを多くの人に認識してもらうためにも障害児・者の存在する価値を強調することが必要であると思われる。
 なお、本著では、障害や疾病、障害児福祉・教育関する用語については、当時使用されていたものをそのまま使用する。

おわりに

 本著の目的は、障害者が存在することによって、私たちが暮らしている社会が健全で安らかのものになっているということを主張することだ。そのことをもっと多くの人に認識してもらうことを願って本著を執筆した。
 障害者の存在を否定し、排除しようとする論理は今でも私たちの社会の根底に潜在している。そして、障害者殺傷事件や強制不妊手術問題という形になって顕在化してくる。顕在化してくるたびに今までも、障害者の存在を否定し排除する人たちに対して多くの非難が投げかけられてきた。しかし、それらの非難によっても障害者の差別や排除は少なくなる傾向は見られない。障害者を排除する人たちを非難すること、障害者を排除する論理の問題点を指摘しただけでは本質的な問題は解消されないということを物語っている。
 本質的な問題を解消するにはどのようなことをすればよいか。解消する有効な方法として、障害者の存在が私たちの社会に不可欠なものであることを多くの人に認識してもらうことではないかと考えた。より長い時間を要するかもしれないが、そのことが一般社会の通念になれば、反比例的に障害者の差別や排除が減少するものと推測する。そのような視点で、障害者が存在することの普遍的な価値を積極的に肯定する論述を探索した。そこで気づいたことは、そのような論述が意外に少ないということだ。障害者の差別や排除を非難してきた今までの人たちも、障害者が存在することの普遍的な価値についてあまり認識していなかったのではないだろうかと疑念すら持った。
 そこで筆者は、障害者が存在することの普遍的な価値を肯定する事例を探って、第三章で可能な限り紹介することにした。しかし、筆者が知らない事例が数多く埋もれているにちがいない。それらの事例を掘り起こし、さらに、障害者が存在することの普遍的な価値を肯定する著述が拡大することを願っている。
 障害者が存在することによって、私たちの社会が健全で安らかのものになっているということを述べたが、人類の進化にも障害者の存在が影響したことを示唆する報告がなされている。NHK総合で「人類誕生 未来編 こうしてヒトが生まれた」という番組が放映された。人類の進化において180万年前のホモ・エレクトスが居住したジョージアのドマニン遺跡で、歯のない頭蓋骨が発見された。ジョージア国立博物館のデビッド・ロルドキパニゼ博士は、この頭蓋骨の人は歯のない状態で何年も生きながらえたことを発見している。何故、歯のない状態で長く生きられたのか。それは、この頭蓋骨の人は仲間に助けられていたからだとデビッド博士は語る。人類の連帯感や思いやりの心が芽生えていた痕跡だと分析する。ホモ・エレクトスはそれまでの人類とは異なる人間的な性質を持ち、集団で支え合い、助け合って暮らしていたと推測する。
 もしこのことが事実であるとすれば、歯のない人、すなわち弱者がその仲間たちに人間的な思いやりの心を持たせる契機を作ったことになる。歯のない人だけでなく障害者も仲間に助けられて暮らしていた可能性がある。障害者を含む弱者が存在したことによって、共同社会の仲間に思いやりの心を芽生えさせ、その後、心をもったヒトとして進化していったのだろう。
 この著作を、理念をもって編集・出版してくださった批評社のスタッフのみなさん、それから執筆にあたり励ましのことばをくださったせんだんホスピタル名誉院長浅野弘毅先生に感謝を申し上げます。最後に、私の価値観を変革させ、人間についての洞察を深めさせてくれた障害のある子どもたち?私の教え子になってくれた多くの子どもたち?に感謝の意を表したいと思います。

目次

【目次】

はじめに 

? 障害者の存在を否定する二つの出来事

1 津久井やまゆり園殺傷事件 
殺傷事件の現場
障害者の存在を否定する植松被告の一連の言動

2)事件に対する社会の反応
障害当事者の反応
行政の対応
識者らの反応

3)事件によって顕在化した障害者にかかわる問題
 (1)障害者の施設収容にかかわる問題
施設入所でなかったら、殺傷規模はもっと小さかった
入所施設の防犯強化の動きとその問題
入所施設の閉鎖性の問題
障害者を隔離する意図が含まれていた
植松被告の考えは施設で育まれたのではないのか
入所施設における職員の入所者に対する対応

(2)施設入所を選択する家族が抱える問題
家族の入所施設に対する反応
施設への入所の理由
障害者の高齢化・重症化
施設入所に至るまでの親の介護負担
施設入所させる親の自責の念
施設入所者の地域生活移行の動向
今後の障害者入所施設に求められる機能
施設職員のモラルを高めるための取り組み
新しい生活の場の移行についての障害のある子供の意思の把握
子どもの自立に向けた介護を担わない選択

4)津久井やまゆり園殺傷事件をめぐる匿名報道について 
被害者の匿名報道は障害者差別ではないか
匿名報道が本当に家族の希望だったのか

2 障害者の強制不妊手術をめぐる問題
1)旧優生保護法下での強制不妊手術の実態
強制不妊手術の被害者が訴訟を起こした
旧優生保護法下における優生手術が行われた件数
強制不妊手術を受けさせられた人たちの声
女性障害者に子宮摘出手術まで行われていた
優生保護審査会のずさんな審査
障害児の発生予防を怠った人への攻撃

2)強制不妊手術が違憲であることの法的根拠

3)旧優生保護法の展開
強制不妊手術はなぜ拡大したか
旧優生保護法の優生条項をもっと早い時期に削除することが出来なかったのか

参考・引用文献

? 障害者の価値を否定する視点及びその問題点 

1 社会・国家に役に立つかどうかという視点 
1)障害者にかかわる経済的負担を軽減する施策 
ナチス・ドイツの障害児安楽死「T4作戦」
障害者殺戮計画の根拠となった論文

2)障害者が産まれないようにして財政負担を軽減する施策 
デンマークにおける不妊化による施策
出生前診断によって障害児の数を減らす
カリフォルニア州における出生診断の拡大
イギリスにおけるダウン症のある胎児のスクリーニングプログラム
出生前診断が抱える問題
我が国における障害者にかかる経済的負担軽減を求める考え

3)社会・国家に役に立つかどうかという視点、その問題点 
排除される対象の判断は恣意的な基準によって決められる
排除の対象が拡大する危険性は現代の社会にも潜んでいる
生命を危うくする事態に発展することを抑止する

2 障害者は次の世代に悪い資質を遺伝させるという視点 
1)優生学に基づく障害者の排除 
社会ダーウイニズムが想定した「社会の進化」
優生学が誕生した時代のイギリスの社会的背景
劣った人間を排除しようとする動き
優生学の誕生と普及

2)アメリカにおける優生思想の実践 ?断種法の実施? 
1900年前後のアメリカの社会的背景
知的障害者が社会不安の元凶とされた
断種法の成立と拡大

3)スウエーデンにおける不妊化による施策 ?福祉を充実させるために?

4)日本における優生思想の実践 
外国の影響を受けての「国民優生法」の制定
戦後、さらに優生思想が強化された
優生手術の対象の拡大
「人口の資質向上」のため優生政策が継続される
福祉の充実とともに障害児の発生防止が叫ばれる
旧優生保護法が廃止されるまで

5)障害者は次の世代に悪い資質を遺伝させるという視点とその問題点 
未熟な遺伝学を根拠とした優生学
障害者が少なくなる社会が現在の我が国で可能であろうか
医師は国家の中でも最も危険な人物となるであろう

3 障害者の存在が本人や周囲の人を不幸にするという視点  

1)障害者は不幸だという考え方を示す過去の事例 
腸閉塞を合併して誕生したダウン症の子どもの手術を親が拒否した事例
兵庫県の「不幸な子どもの生まれない県民運動」

2)本人、親は、障害は不幸であると思っているのか 

3)さまざまな言葉で幸福感を表現 
この子を生んで良かった
この子と一緒にいられることが幸せ
この子に感謝
幸福とは定義が不可能で主観的なもの
家族とのつながり
地域とのつながり
重度障害者の幸福感は

参考・引用文献


? 障害者の存在が健全で安らかな社会をつくる

1 「個人の尊重」という理念を定着させるために

1)「個人」をどのように捉えるか

2)「人間の尊厳」をどのように捉えるか
「人間の尊厳」についての従来の考え方
脳に器質的・機能的障害持つ人たちは「人間の尊厳」を持たないことになる
すべての人に「人間の尊厳」があるとする考え
すべての人に適用される「人間の尊厳」の概念の構築を

2 生命が存在することそのものに価値があるという視点

1)人間は奇跡的存在 それだけでも価値がある
仏教の教え「人身受け難し」
生命誕生の奇跡

2)シュヴァイツァー「生命への畏敬」 
「生命への畏敬」の理念が形成される時代的背景
「生命への畏敬」の倫理の誕生
「生命への畏敬」の倫理が抱える矛盾
「生命への畏敬」の今日的意義

3)「いる」ことだけで尊い

3 人間の価値に線引きはできないという視点 
1)人間の価値に線引きできないとする根拠
「生」こそがあらゆる価値判断の基盤
人間の存在への懐疑
現代の若者に見られる「生きる意味」の喪失
障害児・者も障害のない人も生きる価値をもって生まれてきたわけではない

2)人間の存在の価値は自分自身で創造する 
生きたいという本能を人間はもっている
人間一人ひとりの存在理由、存在する価値を自ら見出す
価値観は多様であり、優劣は付けられない

4 障害児・者から発信される価値 
1)周囲の人たちの人生観、価値観を変える 
ボランテイアの「報酬」
父親が障害のある子どもからもらう「報酬」
障害のある姉から妹がもらう「報酬」
母親が障害のある娘からもらう「報酬」
医師が障害のある子どもからもらう「報酬」
障害当事者自らが与えたと感じる「報酬」

2)思想的な視点を創出する契機を提供する
糸賀の問題意識
差別の解消のために知的障害者の生産性を高めるという問題点
精神薄弱者を世の光に
重度心身障害児の自己実現の姿にふれて
重症心身障害児・者と療育者との「共感の世界」
この子らを世の光に

3)障害児・者に触発された人が社会に影響を与える 
下呂市 特別支援学校設立の訴えを契機として
医療的ケア児への支援体制の整備へ

4)障害者の存在が会社を活性化させる 
調査結果に見られる障害者雇用への社内効果
障害者雇用がなぜ会社全体を活性化させるのか

5)障害のない人の生活へプラスの影響を及ぼす 
ユニバーサル・デザインはどのようにして生まれたか
障害児への教育方法が障害のない子どもの教育の質を高める

5 障害者は、健全で安らかな人間社会を存続させるために必要な存在 
1)障害者は人間社会を構成する一単位として機能を果たしている 
人間社会と類似した森の構造
社会を構成する関係の網の重要な網目

2)基本的人権がその社会で尊重されているかどうかを評価する試金石 
憲法第九十七条が意図していること
第九十七条が基本的人権の尊重をなぜ現在の私たちに信託したのか
基本的人権が尊重されているかどうか障害児・者が教えてくれる

参考・引用文献

おわりに

関連書籍