TOP Problem&Polemic:課題と争点 開国の先覚者 小栗上野介 PP選書

開国の先覚者 小栗上野介 PP選書

  • 蜷川 新著
  • 価格 2500+税円
  • 判型:46判、本文270ページ/口絵8ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0690-8
  • 初版発行年月 2018年12月10日
  • 発売日 2018年12月12日

内容紹介文

まえがき


昭和三年九月、私は「維新前後の政争と小栗上野の死」と題する一書を著わした。明治以来、官民は相応じて、虚偽に充ちた維新史を公表した。国民は、それに十二分に翻弄せられて、朝廷派のみが独り正しく、旧幕府方は、不義背徳の存在であったかのように、迷信せしめられていた。それは文化日本民族の汚辱であるとして、日本国民に私はそれを正直に警告したのであった。
該書は、未だ存在していた尊王主義者の怨悪を、頗る強度に買った。脅迫的の文句を、私に送り来った人もいた。だが共鳴者は非常に多かった。三ケ月にして、十六版を重ねたと、出版屋は巻末に公表していた。
会津出身の人は、特に私に共鳴した。山川健次郎先生は、私の原稿を見て、大いに喜ばれ、序文さえも私のために書かれた。林権助氏は、私に対して、目のあたり非常に感謝された。それに反し、薩長出身の知人たちは、私を敬遠した。私情としては、当然であったと私も思った。
爾来既に二十五年の歳月を経た。小栗上野介の名は、今日では、やや世人の知るところとなった。けれども、維新史に関しては、依然として王政復古の絶対的礼讃が、十中十を占めている。新しい史家でさえも、幕府は、「悪政府だ」と決め込んでいる。尊皇論者は、明らかに、天皇権力主義の製造者であり、天皇権力主義の濫用者でもある。
尊王は正しい見解だと、彼らは信じ込んでいる。但し彼らとても、天皇権力主義が、日本民族のために甚大な禍いをなしたこと、そしてそれが、世界の指弾を蒙り、日本民族は、そのために、亡国に近づいたことを、悟っていないのではない。けれども、相変わらず維新は「回天の大事業であった」と自讃し、民主日本民族の建立について、その的確な方策を立てるだけの大精神を発揮し得ない。彼らは迷っているのである。彼らは今日の日本の国是を破壊することを称道して憚らないのである。
日本の武家封建の七百年の制度は、日本民族が、自ら考案し、建設した特殊の制度であった。そしてその幕府制度の下に、七百年以来、幾多の景仰すべき人物は生れ、種々の日本文化はそれらの人物の力により輝やいたものである。斬殺された小栗上野介もその最後の幕府のもとから出た異数の人物であった。そして今日では、その人物は、今日の正しい史家から、相当に公正に批判されるように変って来つつある。まさに時代の進化といえる。
幕末の朝廷派にも、幾多の人物はいた。俗物のみがいたのではない。公正に両派の人物は批判さるべきである。朝廷派の人をのみ尊崇することは、便侫人の僻みたるを免れない。それらの便侫人に対しては、今日の民主日本人は、民族を本位として、正しい裁判を下すべきである。
あたかも今年は、ペルリ開国百年祭の当年を迎えた。千代田書院は、日本の青年をして、幕末に日本民族が行った事績を理解せしめるために、今回、小栗上野介の一生を分り易く書き下すことを私に依頼した。それは好い思いつきであることを、私は共鳴した。そこで、私は同院鈴木實氏の援をかりて、旧著に依り、この一本を書き下すこととなったのである。そして「幕府の組織」はどんなものであるかを、小栗上野の身上を明かにするために、書き加えたものである。
明治以後の日本人は「旗本」という地位が、日本国の制度上、どんなものであったかを全く知らされずに、過ごして来ている。それは日本民族の産んだ歴史の蔑視と云える。
日本青年の教育上、日本民族の歴史に関して、不公正のないように説くことが、学者の努むべき任務である。拙著の目指すところは、そこに在る。

一九五三年八月三日
                      大磯にて
                                   蜷 川  新


[緒言]小栗上野介の人物大観

小栗上野介は、権勢や富貴に憧がれたり、尊王を売りものにして時流に投合することに、汲々としたりしていた幕末の策動家や、偽忠臣らとは、まったくその撰を異にする我が日本民族本位の誠実な政治家であった。彼は外交家であり、財政家であり、軍政家であり、真に世界を理解する文明政治家であって、当時の日本における第一流の人物であった。
小栗は、自己が、その正しいと信ずるところを、少しもはばからずに直宣した。国利民福に反する言動に対しては、断乎としてそれを排撃し、まったく容赦しなかった。小栗のこのような剛直な性格は、いきおい若干の敵をつくった。同時に、また多くの味方をもつくった。小栗は、その意見が、もちいられない時には、極めてあっさりと、その職を棄てた。弁解がましいことなどは、彼は、少しもしない人であった。かれは、真に江戸武士であったのである。
しかしながら、小栗の天才と果断とに敬服し、その時流を超越した識見と、その凡俗から遥かにすぐれた能力を尊重し、彼をもちいる賢者がいたならば、彼は躊躇なしにその任についた。「復またまた々小栗様のお役替え」というそのころの噂は、幕末八年のあいだに、実に江戸のみではなく、世人の耳に馴染みのふかいものであった。「その任免は、実に、七十数回」と、由来、俗に伝えられていたのはそれである。(七十数回とは、形容であった。)
一言にしていえば、小栗は、江戸武士の本質を、身につけていた人であった。井伊大老に、みいだされ、弱冠三十二才にして、第一次遣米使節の監督役となり、万延元年正月、品川湾を出帆し、地球をひとまわりして日本に帰ってきて以来、小栗がつぎつぎに就任した重要国務の年表を、しらべてみれば、左の通りである。(大坪元治著「小栗上州掃苔記」による)

万延元年 九月 アメリカから帰国
 〃  十一月 外国奉行を命ぜらる
 〃  十二月 遣米使節の功により加増二五〇石
文久元年 四月 露艦対馬に侵入につき、談判のため出張を命ぜらる
 〃   七月 外国奉行を免ぜらる
 〃二年 三月 御小姓組頭を命ぜらる
 〃   五月 御軍政御用取調を命ぜらる
 〃   六月 勘定奉行勝手方を命ぜらる。豊後守を上野介と改めらる
 〃   八月 江戸町奉行を命ぜらる
文久二年十二月 歩兵奉行を命ぜらる
 〃  〃   兼勘定奉行勝手方を命ぜらる
 〃三年 四月 歩兵奉行を免ぜらる
 〃   七月 陸軍奉行並を命ぜらる
 〃  〃   免職
元治元年 八月 勘定奉行勝手方を命ぜらる
 〃  十二月 軍艦奉行を命ぜらる
慶応元年 二月 免職
 〃   五月 勘定奉行勝手方を命ぜらる
 〃二年 八月 兼海軍奉行並を命ぜらる
 〃  十二月 兼陸軍奉行並を命ぜらる
 〃四年 正月 免職

このように、幕府の要職に、つぎからつぎへと就いたその八年のあいだに、小栗は、内治、外交、国防、財政、内政の全般にわたって、欧米式の方策を立て、日本に文化を導いた優れた政治家であったのである。
小栗の部下であった一代の名士、福地源一郎は、「その精励は、実に常人の企及するところにあらざりけり」(幕末政治家)と書いている。また文士塚越芳太郎は、「彼は実に、幕府の精神なりき」と記している。いずれも過当の讃辞ではない。それは、小栗の事績が、確実に証明している。
小栗は、いかなる難局に当っても、「不可能」のことばを吐いたことはなかった。小栗は、屈せずたゆまず、「国亡び、身斃るるまでは、公事に鞅掌するこそ、まことの武士なれ」と、いつも傍人に語っていたと書いてある。
政治は、人民の福祉のために行わるべきものである。小栗は、実に、その身心を捧げて、日本民族のために、至誠奉公した人であったのだ。彼に、至誠があり、実績があった。それであるのに、朝廷派の全要人らは、この小栗上野介を、不法にも「反逆者」と宣言した。そして上州烏川の畔に、その首をはねたのである。朝廷派は、暴戻であった。実に天人ともに怒るべき残虐者であった。日本民族は、この暴虐者らの犯罪を、今において、裁判する権利がある。それは、人権尊重国の人民の権利である。朝廷派は、人民を欺き、日本民族の歴史を汚し来ったのである。文化日本人は、汚された歴史を、科学により、正論に立ち、一切を洗い清むべきではないか。そのために言論の自由は保障されているのではないか。


『開国の先覚者 小栗上野介』を推す
礫川全次

吉川弘文館の『国史大辞典』で、「おぐりただまさ 小栗忠順」を引くと、参考文献のところに、蜷になが川わ新あらたの著書が、ふたつ挙げられている。そのひとつは、『維新前後の政争と小栗上野の死』(日本書院、一九二八)であり、もうひとつが、『開国の先覚者 小栗上野介』(一九五三、千代田書院)である。『維新前後の政争と小栗上野の死』には、『続 維新前後の政争と小栗上野』と題した続編がある(日本書院出版部、一九三一)。そして近年、この正続両編を合冊した復刻版が、『維新前後の政争と小栗上野』というタイトルで刊行されている(マツノ書店、二〇一四)。
しかし、『開国の先覚者 小栗上野介』のほうは、一九五三年(昭和二八)年から、すでに六十五年も経っているというのに、この間、一度も復刻の試みがなされてこなかった。おりしも「明治一五〇年」が叫ばれている本年、本書が、批評社から復刻されるに到ったことは、歴史愛好者、歴史研究者にとって朗報である。泉下の蜷川新も、また、さぞ喜んでいることであろう。

蜷川新には、『維新正観』(一九五二、千代田書院)という名著がある。この本は、一九五二年(昭和二七)九月に初版が出ているが、翌一九五三年(昭和二八)八月の時点で、すでに第五版に達している。
読者からの支持があったということだろう。今回、復刻される『開国の先覚者 小栗上野介』と、この『維新正観』とは、発行元が同じ「千代田書院」である。千代田書院としては、『開国の先覚者 小栗上野介』を、『維新正観』の第二弾としたかったのではないだろうか。『開国の先覚者』の「まえがき」に、「同院鈴木實氏の縁をかり、旧著に依りて、この一本を書き下すことになった」とある。その「鈴木實氏」が、おそらく、この企画の提案者だったのであろう。ただし、その試みが営業的に成功したのどうかはハッキリしない。
なお、蜷川の言う「旧著」とは、『維新前後の政争と小栗上野の死』、『続 維新前後の政争と小栗上野』のことを指しているのだろうが、当然、これらに『維新正観』も加えてよいだろう。
以前、『維新正観』の校訂を担当した立場から言うと、『維新正観』は、この当時としては、画期的な問題提起をおこなった名著であると確信した。ただし、出版物としては、かなり「校正」が甘いという印象を禁じえなかった。「第五版」の段階にいたっても、依然として誤記や誤植が散見され、この間に、誤記、誤植の訂正がなされていないのではないかと疑った。今回、『開国の先覚者』の復刻にあたっては、批評社編集部によって厳密な校訂が施されたが、伝え聞くところでは、やはり、校訂には苦労があったらしい。

以下、本書『開国の先覚者 小栗上野介』について、僭越ながら、読者の皆さんに押さえていただきたいポイントなどを指摘させていただきたい。
第一に、この本は、小栗上野介忠順という人物の「再評価」、「復権」を意図した本であるということである。今日、小栗上野介について書かれた本は多数にのぼり、すでに、この人物の再評価、復権はなされたかにも見えるが、泉下の蜷川新に言わせれば、マダマダといったところだろう。
第二に、この本は、明治維新という変革が不正義なもの、醜悪なもの、法あるいは正義に反するものだったということを訴えた本である。そのことは、すでに前著『維新正観』でも説かれていたわけだが、本書は、そのことを、小栗上野介忠順という人物に焦点をあてながら、手を替え品を替えて説いた本である。その意味で、本書は、『維新正観』の「小栗上野介バージョン」と位置づけることもできよう。
第三に、この本は、特に勝海舟という人物を、徹底的に批判しようとした本である。勝海舟は、幕臣でありながら、幕府の瓦解に手を貸した人物であり、また、明治期に小栗上野介の評価を貶めた張本人であった。著者の蜷川新にとっては、二重の意味で許しがたい人物であった。著者は、『維新正観』においても、勝海舟を批判しているが、その舌鋒の鋭さという点において、とうてい本書に及ぶものではない。例えば、本書一四五?一四六ページを見ていただきたい。
《「海舟日記」によれば、勝は、幕府の要職者を悉く罵ののしって、凡庸と誹そし
り、そして小栗に関しては、「権威を弄ろうし、上かみを圧し、仏国人に翻弄せられ、聚歛しゅうれんこれ事とし、市民を苦しめ、これを武備に用いず」と書き立てている。(海舟先生戊辰日記第十一頁ほか)この所謂「日記」は、日記ではなく、それは後日になって、筆を加えたものである。あまりに事実と離れた暴言の羅列である。その人となりが、余りに浅ましいことを後世に遺すのみである。》
なお、本書で著者は、小栗上野介の郡県思想について解説している。これまで、小栗上野介の郡県思想について触れている専門書がなかったわけではないが(浅井清『明治維新と郡県思想』巌松堂書店、六七ページ)、文字通り、触れる程度の記述であって本格的なものではなかった。その点、本書の一五ページにわたる解説(七五?八九ページ)は、注目に値するものである。
本書において、蜷川新が『維新正観』に言及しているのは、どういうわけか、一か所のみである(三一ページ)。しかし、本書は、『維新正観』と併せ読むことによって、理解が深まる本である。縁あって、本書を手に取られた読者の方々、本書によって小栗上野介という人物に関心をお持ちになった方々、本書によって明治維新の「不正義」という問題に気づかれた方々には、是非、続いて『維新正観』にも目を通していただいと思う。


著者略歴
蜷川新(にながわ・あらた)
1873(明治6)年?1959(昭和34)年。母は小栗忠順の妻・道子の妹である、建部政醇の娘はつ子。東大法学部・大学院卒業、法学者。大学教授、新聞記者、赤十字顧問などを歴任した。
著書に『維新前後の政争と小栗上野の死』『維新前後の政争と小栗上野の死』(以上日本書院、マツノ書店から『維新前後の政争と小栗上野』として2014年復刻)、『維新正観』(千代田書院、批評社から2015年復刻)、『日本憲法とグナイスト談話』(議会政治社)、『此の日本国をどうする』(香風閣書房)、『天皇 誰が日本民族の主人であるか』(光文社)ほか多数。

解説者略歴
礫川全次(こいしかわ・ぜんじ)
1949年生まれ。在野史家。歴史民俗学研究会代表。著書に『サンカ学入門』『攘夷と憂国』PP選書『日本保守思想のアポリア』『歴史民俗学資料叢書(第1期、第2期、第3期・各全5巻、編著)』(以上批評社)、『サンカと三角寛』『アウトローの近代史』(以上平凡社新書)、『異端の民俗学』(河出書房新社)ほか多数。

目次

目次

まえがき
[緒言]小栗上野介の人物大観

■小栗上野介の外交上の功績
1 安政条約批准書交換の使節に対するアメリカ人の賞讃

2 対馬島におけるロシアの艦長に対する小栗の決死的談判

■小栗上野介の国防上の功績
1 日本海軍の創設にかんする功績

2 日本のフランス式陸軍創設に関する功績
■小栗上野介の国の財政と経済に関する功績

■小栗上野介の国内統一および郡県制創設の主張

■最後の江戸城会議と小栗の官軍掃滅の作戦方略

■小栗に科した虚偽の罪状と不法の斬首

■小栗上野介に対する三宅雪嶺博士の批判

■小栗の作戦方略に驚嘆した長藩の大村益次郎

■小栗上野介と西郷隆盛との対照

■小栗上野介と勝海舟との対照

■小栗上野介という人間の性格
1 小栗の少年時代とその大人らしい態度
2 小栗愛用のアラビア馬の話
3 小栗は遊興を好まなかった
4 小栗の書画に関する意見の合理性
5 小栗と文藝および科学
6 小栗とその財産のこと
7 小栗の江戸屋敷と、土佐藩土方久元の占領
8 小栗に新聞発行の意見があった
9 開国論者としての青年小栗剛太郎
10 小栗に国粹保全の意見もあった
11 小栗と三井家の大番頭三野村利左衛門との関係
12 小栗上野介の決死諫争とその成果

■小栗上野介の家系
1 松平姓から小栗姓に変った家筋
2 祖先小栗忠政のかがやかしい武勲
3 小栗上野介の父新潟奉行小栗忠高と故大隈侯夫妻

■小栗上野介と横須賀軍港
1 小栗上野介の横須賀造船所建設に関する手紙
2 日本海軍人の小栗上野介に対する観方
3 横須賀開港記念日と開港功労者の末路

■小栗上野介の日常生活

■小栗上野介の埋蔵金の噂さ

■小栗上野と新旧史家の評論

[附説]江戸幕府の主権とその組織
1 江戸幕府の憲法と統治権
2 公方・大名および旗本の地位
3 天皇の位置と武家制度
4 江戸幕府の武士訓(家康の夜話)
5 井伊大老時代の幕府の職制
6 幕府の職制と明治の太政官々制との比較
7 江戸武家の邸、旗本知行所、旗本の領米、旗本の生活の様態

【解説】『開国の先覚者 小栗上野介』を推す 礫川全次

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