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精神医療運動史─精神医療から精神福祉へ MHL40[メンタルヘルス・ライブラリー]

  • 浅野弘毅著
  • 価格 2000+税円
  • 判型:A5判、184ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0686-1
  • 初版発行年月 2018年10月10日
  • 発売日 2018年10月14日

内容紹介文

はしがき

わが国における精神医療は、対象を長いあいだ精神疾患患者に対する狭義の医療に限定してきた歴史があります。また精神障害者の福祉は、各種障害者の福祉のなかでもとりわけ立ち遅れが目立っていました。精神障害者が快復してから住むところ、働くところの保障もされていませんでした。
さらに、精神障害者に対するいわれなき偏見と差別もあい変わらず続いています。
一方、法制度上は、精神衛生法および精神保健法から精神保健福祉法に、さらに障害者基本法および地域保健法から障害者総合支援法へと歴史的な転換が図られてきました。
精神保健福祉法は障害者基本法および地域保健法の趣旨と軌を一にしており、法には精神障害者の社会参加と自立、福祉施策の充実が謳われました。遅きに失したとはいえ、それまでの福祉施策があまりに貧困であったことを思えば大きな進歩でした。また、施設福祉から地域福祉への第1歩が踏み出されたとも言えます。
この間の歴史をふり返ると、「医療」と「福祉」をめぐる論争の転換点は精神保健福祉法成立にあったことが分かります。
精神保健福祉法成立以前の、「中間施設」論争および「精神障害者福祉法試案(全家連)」論争では、医療的色彩の薄い福祉施設への収容は、精神障害者から医療を奪うものであり、終末施設になるという批判が主流を占めていました。
精神障害者は生涯にわたり「医療の傘」のもとに置かれるべきであるとして、精神科医の側に、精神障害者を「医療」から「福祉」に手渡すことに根強い抵抗があったのです。
そして、障害者総合支援法をめぐっては、「医療」の欠落した「福祉」はありえないというのが医療関係者の共通認識でした。もはや「医療」か「福祉」かという議論そのものが影をひそめました。法の基本的性格が問われないまま、「福祉の拡充」が声高に主張されたのです。
「医療」と「福祉」をめぐる過去の論争は超克されたのでしょうか、あらためて問い直してみたいと思います。

かつて、精神科におけるリハビリテーションが、精神病院内の作業療法・生活療法にかぎられていた時代がありました。閉鎖的な環境下で行われるさまざまな働きかけは、かかわる人の善意とは別に、結果的に対象者にとって好ましくない弊害を生むことも、しだいに明らかになりました。そうした経験から、病院内の各種療法について根底的な見直しと反省が行われたのです。
リハビリテーション活動が病院内に押し込められていたのには、それなりに理由がありました。精神の障害は疾患であるから、狭義の医療を最優先すべきであるという考え方が古くから牢乎として続いていました。そのため、病院収容と身体療法・薬物療法が積極的に行われたのです。急性期の治療にはこの手法で勝利を収めたかにみえましたが、慢性期では長期収容の弊害と薬物療法の副作用が目立つようになってきました。
くわえて、医療の場であるはずの病院は、1960年代に進められた増床計画により、人材の育成と配置を伴わないまま進行し、慢性的な職員不足となり、病院は巨大な収容所と化していったのです。その結果、精神病院の現場は荒廃し、不祥事件が陸続と発生することになりました。多発する精神病院の不祥事件にたまりかねて、日本精神神経学会理事会が緊急声明を発したのもこのころのことでした。
その後、在院期間を短くする努力を積み重ねたところ、精神障害者は地域でそれぞれの人生を歩むことができることが知られるようになりました。
そうした知見から、あらためて精神障害者の障害とは疾患なのか、障害なのかという議論が活発化しました。精神障害の場合には疾患と障害が共存していること、精神障害者も日常生活レベルでは生活のしづらさを通して障害の自覚を有していること、リハビリテーション過程で具体的な個人と相互的・親和的な関係を取り結ぶ経験をもつことによってリカバリーが可能となっていくことなどが、少なくとも共通の経験として語ることが出来るところまで到達したのです。
こうし治療者側の認識のゆるやかな転換は精神障害者が病院から出て地域で暮らしはじめ、一人ひとりの生活をデイケア・協同作業所・グループホーム・自助グループなどで支援する経験の蓄積があったればこそできたことなのです。
して、精神科医の側に、精神障害者を「医療」から「福祉」に手渡すことに根強い抵抗があったのです。
そして、障害者総合支援法をめぐっては、「医療」の欠落した「福祉」はありえないというのが医療関係者の共通認識でした。もはや「医療」か「福祉」かという議論そのものが影をひそめました。法の基本的性格が問われないまま、「福祉の拡充」が声高に主張されたのです。
「医療」と「福祉」をめぐる過去の論争は超克されたのでしょうか、あらためて問い直してみたいと思います。
かつて、精神科におけるリハビリテーションが、精神病院内の作業療法・生活療法にかぎられていた時代がありました。閉鎖的な環境下で行われるさまざまな働きかけは、かかわる人の善意とは別に、結果的に対象者にとって好ましくない弊害を生むことも、しだいに明らかになりました。
そうした経験から、病院内の各種療法について根底的な見直しと反省が行われたのです。
リハビリテーション活動が病院内に押し込められていたのには、それなりに理由がありました。精神の障害は疾患であるから、狭義の医療を最優先すべきであるという考え方が古くから牢乎として続いていました。そのため、病院収容と身体療法・薬物療法が積極的に行われたのです。急性期の治療にはこの手法で勝利を収めたかにみえましたが、慢性期では長期収容の弊害と薬物療法の副作用が目立つようになってきました。
くわえて、医療の場であるはずの病院は、1960年代に進められた増床計画により、人材の育成と配置を伴わないまま進行し、慢性的な職員不足となり、病院は巨大な収容所と化していったのです。その結果、精神病院の現場は荒廃し、不祥事件が陸続と発生することになりました。多発する精神病院の不祥事件にたまりかねて、日本精神神経学会理事会が緊急声明を発したのもこのころのことでした。
その後、在院期間を短くする努力を積み重ねたところ、精神障害者は地域でそれぞれの人生を歩むことができることが知られるようになりました。
そうした知見から、あらためて精神障害者の障害とは疾患なのか、障害なのかという議論が活発化しました。精神障害の場合には疾患と障害が共存していること、精神障害者も日常生活レベルでは生活のしづらさを通して障害の自覚を有していること、リハビリテーション過程で具体的な個人と相互的・親和的な関係を取り結ぶ経験をもつことによってリカバリーが可能となっていくことなどが、少なくとも共通の経験として語ることが出来るところまで到達したのです。
こうした治療者側の認識のゆるやかな転換は、精神障害者が病院から出て地域で暮らしはじめ、一人ひとりの生活をデイケア・共同作業所・グループホーム・自助グループなどで支援する経験の蓄積があったればこそできたことなのです。
今日、精神の障害の捉え方にも大きな変化が起こっています。
厚生労働省は、2004(平成16)年に「精神保健医療福祉改革ビジョン(改革ビジョン)」をとりまとめました。
「改革ビジョン」は「入院医療中心から地域生活中心へ」という基本理念を掲げ、10年間に「受入れ条件が整えば退院可能」ないわゆる「社会的入院患者」7万2千人を退院させるという方針を明らかにし、あわせて必要とされる社会復帰施設等の整備を図ることを明言しました。
病院から地域への移行をめざすには社会復帰施設の増設だけでなく、積極的な退院促進プログラムが必要です。
厚生労働省は2003(平成15)年から「精神障害者退院促進支援事業」を、そして2008(平成20)年から「精神障害者地域移行支援特別対策事業」を推進しました。
いずれの事業も病院と地域の連携の困難さから不振に終わっています。
日本の精神医療の負の遺産ともいうべき「社会的入院」の解消には、膨大なエネルギーと莫大な予算とを要することになったのです。

1970年代に展開されたいわゆる開放化運動によっても、長期在院問題を解決することはできませんでした。開放化運動の時代にも、精神病院の在院患者さんは増え続け、平均在院日数も減少しませんでした。また、各地で熱心に開放化に取り組んだ人びとがいたにもかかわらず、精神病院の開放率は伸びませんでした。
さらに、本人の同意に基いて入院(任意入院)した患者さんの閉鎖処遇もなかなか改善されていません。
現在、地域ケア体制の整備については、法の規定にあと押しされながら、不充分ではありますが徐々に実現されつつあります。
さらに、ノーマライゼーションの思想の普及もあいまって、今日、病院の外の活動は生き生きとしてきているように見受けられます。
しかしながら、精神病院は変わったでしょうか。開放化運動とはいったい何であったのか、そして開放化運動は何を残し、その後の精神医療の変革とどうつながったのでしょうか。今あらためて精神病院の果たすべき役割と病院医療のあり方をめぐる検討が要請されています。

開放化運動の後、あたらしい入院患者さん達は、比較的短時日のうちに退院して行くようになりました。
しかし、ごく一部の患者さんは長期の入院を余儀なくされ、徐々に慢性患者(new-long stay)さんとして蓄積されています。
また、すでに超長期に入院していた患者さんたちは開放化と院内の治療体制の改変にもかかわらず、めざましい改善を示しませんでした。
精神病院の過去の負の遺産の克服は果たして可能なのでしょうか。そしていかにして可能となるのでしょうか。
精神病院における[閉じ込め]と[生活の剥奪]の現実を乗り越えて、病院を本来の医療の場に改変しようとする試みも、各地で着実に発展していはしがき ます。かすかながら希望の灯も見えます。
精神医療をとりまく情勢は大きく様変わりし、精神障害者のノーマライゼーションと地域生活支援がめざされる時代になりました。
一方で形を変えた保安処分制度でしかない「心神喪失者等医療観察法」が成立し施行されました。
精神障害者の責任能力をめぐって、時代はまさに大きく引き裂かれた状況にあります。
精神障害者のノーマライゼーションを推進する前提として、精神障害者、なかでも統合失調症患者といえども疾病の程度や時期に応じて一定の法的責任を負うべきとする考え方があります。精神医療関係者や法曹関係者のみならず当の精神障害者からも、そうした声が上がっています。
他方で、「心神喪失者等医療観察法」は、精神障害者は法的な責任主体にはなりえないとして、刑に代えて治療を対置しようとするものです。
もちろん、治療が精神障害者の再犯防止につながるか否かをめぐっては、重大な疑義が提出されていることは言うまでもありません。
このように引き裂かれた時代を迎えて、精神鑑定とりわけ刑事鑑定の新たな質が問われています。

「精神保健福祉法」改正のおりの付帯決議に基づいて、法務省と厚生労働省の協議がスタートした矢先に「大阪児童殺傷事件」が起きました。
「心神喪失者等医療観察法」における根本的な問題は、精神科医が重大犯罪の再犯予測に関わり、再犯防止の役割を担わされることにあります。精神症状およびその悪化と犯罪行為とは基本的に独立した事象であり、犯罪を構成する契機は極めて重層的であり、個人の精神病理のみに還元できるものでもありません。
精神科医が病状から再犯を予測し判定することは基本的に不可能なことです。また、いくつかの資料によれば、精神障害者による犯罪のうち、未治療ないし初発時の犯罪は未知の不特定多数を対象としており、治療中断も含めた治療経過中ないし慢性例では圧倒的に家族や医療関係者が対象となっていることが示されています。
「心神喪失者等医療観察法」では、初犯を防ぐことはもちろん出来ませんし、治療中断を含む治療経過中ないし慢性例の犯罪は精神医療の不十分性を示しています。各種団体が精神医療の充実こそが急務であると主張した所以でもあります。
そのことはすでに1970年代の「刑法改正=保安処分新設阻止闘争」のなかで論じ尽くされたことでもあります。
「心神喪失者等医療観察法」は、1980(昭和55)年に法務省刑事局から示された「治療処分」制度を継承したものであり、基本的性格は「保安処分」制度そのものです。
その後、「処遇困難」という概念が提起されて、触法と「処遇困難」との混同が起こったために、「心神喪失者等医療観察法」によって精神病院のなかの「処遇困難」が一掃されると誤解する精神医療関係者が居たことが1970年代との唯一の違いと言えば違いでしょうか。

最後に新自由主義への対抗原理としてのケアの倫理について序論を試みました。ケアの倫理は、市場社会における効率主義と消費中心主義のイデオロギーに対抗する倫理です。
本来人間は脆弱な存在であることの認識のうえに、市場社会におけるジェンダーの二元性と序列に対して抵抗するものとしてのケアの倫理の構築が求められています。
ケアの倫理がさまざまな領域で模索されておりながら、精神医学領域でのケア論はまだ道半ばです。
対象者をケアの名のもとに支配するパターナリズムを排し、人間の尊厳に対する顧慮を土台に、狭い意味でのケアの倫理を超える、全人間的なケアとしての精神医学的なケア論が待たれています。

(用語の統一についてのお断り)
本書が歴史的に過去の用語を扱っている関係上、煩雑さをさけて、一部の例外を除き「精神医療」「精神病院」「精神障害者」に統一してあります。

【著者略歴】
浅野弘毅(あさの・ひろたけ)
1946 年宮城県生まれ。東北大学医学部卒業。仙台市デイケアセンター所長、仙台市太白保健所長、仙台市立病院神経精神科部長、認知症介護研究・研修仙台センター副センター長、東北福祉大学教授兼東北福祉大学せんだんホスピタル院長を経て、現在、東北福祉大学せんだんホスピタル名誉院長。
日本精神神経学会理事、日本デイケア学会副理事長、日本社会精神医学会理事、宮城県精神医療審査会会長、仙台市精神保健福祉審議会会長などを歴任。
著書に『精神医療論争史』『統合失調症の快復』『ゆらぐ記憶』『こころの診療雑記』(以上、批評社)、『声と妄想─臨床精神病理論文集成』(医学出版社)、精神科デイケア学』(M.C.ミューズ)ほか。

目次

はしがき―――――――――――――――――――3

第1部
精神医療から精神福祉へ

第1章
戦後の論争をふり返って――――――――――――――――――――――――――――――18
●はじめに/●「中間施設」論争/●「精神障害者福祉法試案(全家連)」論争/●「医
療の傘」論から「医療を内包した福祉」論へ/●「医療」と「福祉」の統合/●まとめ

第2章
精神科医と精神保健福祉士のダイアローグ
―歴史・状況・関係性
―――――――――――――――――――――――――――――――33
●はじめに/●日本精神神経学会のシンポジウムから/●その後の対話/●おわりに

第3章
戦後精神医療論争を踏まえた精神医療福祉の現在
―――――――――――――――――――――――――――――――41
●病院精神医学懇話会の設立/●病院精神医学会から病院・地域精神医学会へ/●
もういちど病院《と》地域を/●福祉と人間の尊厳

第4章
「社会的入院」患者の退院促進と権利擁護
―――――――――――――――――――――――――――――――57
●はじめに/●「社会的入院」の実態/●退院促進・地域移行支援事業の実態/●東
北福祉大学せんだんホスピタルの現況/●入院患者さんの権利擁護/●おわりに
コラム
1
「改革ビジョン」批判
―――――――――――――――――――――――――――――――71
●はじめに/●「精神障害者の地域生活支援の在り方に関する検討会」の審議経過/
●地域生活支援における利用者の声/●地方分権と地域生活支援/●おわりに

第5章
「病床転換型居住系施設」構想批判
―――――――――――――――――――――――――――――――78
●はじめに/●地域で暮らすということ/●精神病院に「住む」ということ/●おわりに

第2部
精神医療の変革運動

第6章
開放化運動の思想と実践
―――――――――――――――――――――――――――――――86
●はじめに/●開放化運動の歴史/●開放化運動の時代背景/●開放化運動の思想
/●開放化運動の実践/●開放化運動の光と影/●開放化運動のその後/●おわりに
コラム
2
開放化運動と交流集会
―――――――――――――――――――――――――――――――96
●東北精神科医療従事者交流集会の10年

第7章
「生活療法」批判
―藤澤敏雄を偲んで
―――――――――――――――――――――――――――――――104
●はじめに/●人と仕事/●「生活療法」とは何であったか/●藤澤の「生活療法」批判
/●おわりに

第8章
精神病理学批判
―「1968 年」の松本雅彦
―――――――――――――――――――――――――――――――116
●はじめに/●わが国の人間学派/●日本精神病理・精神療法学会第6回大会/●
学会解散後/●臨床と精神病理学のはざまで/●おわりに

第9章
大学医局講座制批判
―――――――――――――――――――――――――――――――127
●はじめに/●医学生の運動/●東北大学精神科医局の自主管理/●金沢学会闘争
/●おわりに

第10章
精神鑑定批判
―――――――――――――――――――――――――――――――139

第11章
「心神喪失者等医療観察法」批判
―――――――――――――――――――――――――――――――144
●法案提出に至るまで/●再犯は予測できるか/●精神障害者は危険か/●精神障害
者は免責されているか/●社会復帰は可能か
コラム
3
「保安処分」論争
―――――――――――――――――――――――――――――――152
●保安処分制度とは/●保安処分反対闘争/●「重症措置患者専門治療病棟」論争/
●「医療観察法」論争/●論争を振り返って

第3部
ケアの精神医学

第12章
脆弱性に応答する責務
―デイケアの課題と期待するもの
―――――――――――――――――――――――――――――――158
●はじめに─地域ケアとしてのデイケア/●ケアの哲学─自己実現としてのケア/
●ケアの倫理─ネオリベラリズム批判/●ケアの社会学─人権的アプローチ/●
ケアの心理学─ケアの動機づけと役割/●おわりに─ケアの精神医学への展望
コラム
4
「デイケア」論争
―――――――――――――――――――――――――――――――168
●デイケアの発展/●デイケアに対する行政指導/●倫理とは何か/●デイケアの倫
理を考える
引用文献
――――――――174
初出一覧
――――――――181
あとがき―精神医療のリトルネロ
―――――――――――――――――――183

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