TOP メンタルヘルス・ライブラリー 相模原事件はなぜおきたのか MHL39[メンタルヘルス・ライブラリー]

相模原事件はなぜおきたのか MHL39[メンタルヘルス・ライブラリー]

  • 井原 裕著
  • 価格 1800+税円
  • 判型:A5判、192ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0683-0
  • 初版発行年月 2018年7月10日
  • 発売日 2018年7月12日

内容紹介文

はじめに

「相模原事件のような惨劇は、二度と起きてほしくない」
私は、そう願って本書を記しました。
本書の結論は、シンプルです。2016年7月に相模原市の障害者施設で起きた悲劇を再び起こさないためには、新しい制度を作るべきだということです。その制度には、少なくとも3つの条件が必要です。
1.地域社会の安全を確保するための警察
2.対象者の人権を擁護するための裁判所
3.対象者の心の健康に奉仕する精神科医
以上、三者が共同することです。いかにして、1.社会の安全を確保し、2.対象者の人権を擁護し、3.対象者の心の健康を実現するかという、少なくとも3つの課題が、ここにはあります。1.のためには警察、2.のためには裁判所、3.のためには精神科医。以上3つのどれ一つを欠いても、目的は達成されません。三者が有機的に連携した制度を設計することこそ必要であり、いわば、医療・司法・保安システム(Medico-legal-secure sysytem)が求められているといえます。
相模原事件以降、厚生労働省が検証チームを結成し、すでに提案を行っています(山本輝之座長の名を冠して、ここはこれを「山本レポート」と呼ぶことにしましょう)0-1)。残念なことに、これはあくまで既存の措置入院制度を温存して、その限りで1.安全と2.人権と3.健康を実現しようとするものでした。そして、警察抜き、裁判所抜きで、この3つの課題のすべてを精神科医療に担わせようとするものです。
この方法だと、1.社会の安全は守れません。当然です。精神科医は警察官ではありませんから、拳銃も、警棒も、手錠も持っていません。こんな非力な存在に治安維持の役割を担わせようとしても無理です。大阪教育大学池田小学校事件では8人亡くなり、相模原事件では19人亡くなっています。そのつど、警察の介入を可能ならしめる制度が求められていたのに、先送りされています。いったい次に何人亡くなれば、新しい制度ができるのでしょうか。しかし、次の犠牲者を待つような不謹慎なことを想像する前に、直ちに新しい制度を考えるべきでしょう。今のままでは、池田の8人、相模原の19人、これらの失われた魂は、安らかにお眠りいただけないことでしょう。
しかし、1.を上回る重大な問題は、2.の人権の点にあります。措置入院制度は、「他害のおそれ」の際に予防的な拘禁を行う制度ですが、裁判所はノータッチです。したがって、この制度は見方を変えれば、「逮捕状なき逮捕、裁判なき拘禁」0-2)です。日本には、すでに予防拘禁のための制度として、警察官職務執行法と心神喪失者等医療観察法という二つの法律がありますが、こちらは人権擁護のためのセーフガードが担保されています。どちらも裁判所が「法の番人」として関与するようにできています。しかし、現行の措置入院の場合は、裁判所が関与しませんから、「危険な患者を退院させるな」との民意の大合唱が起きれば、もう誰もその流れを止められません。さらに悪いことに、山本レポートは、「支援計画」「調整会議」などの簡単には退院させない仕組みを作ってしまいました。最終的な退院決定権は、精神科医にはありません。地方自治体の首長にありますので、行政が世論の後押しを受ければ、事実上無期限の拘禁が可能です。「支援計画に不備がある」とか「調整会議が不十分だ」とか適当な理由をつければいいのです。つまり、措置入院とは、国家がその気になればいくらでも濫用が可能な制度なのです。
 厚生労働省の山本班のメンバーたちは、生真面目に3.の課題に取り組みました。「退院後に必要な医療等の支援を検討し、症状消退届で都道府県知事等に確実に伝達」などとし、さらに退院後のフォローアップについても、「支援計画」「調整会議」「生活環境相談員」など、詳細なアクション・プランを立案しています。何と素晴らしいことでしょうか。何と真面目な委員たちであることでしょうか。
しかし、この有識者委員たちは、真面目すぎて全体像が見えていません。措置入院制度だけで、退院後のケアから、治安維持まで、何から何までをやろうとしています。委員たちは、少なくとも二つの重大な誤謬を犯しています。
第一に、「医療で治安が守れる」という、常識的に考えてありえない迷妄に取りつかれているという点です。「支援」だの「伝達」だの「調整」だの、大いに結構です。このようなすばらしい提案をなさった、委員の皆様に拍手喝采を送りたいと思います。しかし、事件の再発防止には何の役にも立ちません。あたりまえです。だって、そこに警察が関わっていないからです。医者は警察官ではない。病院は留置場ではない。それなのに、どうして医療で治安が守れるのでしょうか。ありえないでしょう。結局のところ、「健康政策で刑事政策の変わりができる」などといった、委員を除けば一億の国民の誰一人として同意しない、奇妙奇天烈摩訶不思議な観念に取りつかれている点において、山本レポートの提案はまったくの砂上楼閣にすぎません。
第二の誤謬は、「俺たちは患者さんのためを思って、頑張っているんだ」という使命感さえあれば、いかなる予防拘禁も許されると思い込んでいる点です。措置入院の背後には、「パレンス・パトリエ」とか「国親思想」と呼ばれる考え方があって、委員たちはこの美しい理念を全身で表現しています。要は国家が優しいお父さんの顔をして、「お父さんはおまえのためを思って言っているんだ。悪いことは言わない。入院しなさい」というものです。
事件の検証チームは、「安易な退院を許すな」との民意に応えるべく、「調整会議」だの、「支援計画」だのの、退院までのとてつもなく高いハードルを設定しました。患者さんが退院したいと思っても、このハードルは、簡単にはクリアできません。したがって、この提案が制度化されたあかつきには、「お父さんはおまえのためを思って言っているんだ。悪いことは言わない。もう少し待ちなさい」となることでしょう。そして、患者さんにしてみれば、あれやこれやの難しい条件を提示されて、結局、いつまでたっても病院から出してもらえません。
「お父さんは、お前のためを思って言っているんだ」、この甘くて、キモいフレーズを口にしさえすれば、何人をもいつまでも拘禁できる、こんな欺瞞と偽善とうそ八百に満ちあふれたイカサマだらけの制度はありません。結局のところ、「パレンス・パトリエ」の美名の下に、どんな理不尽な予防拘禁も正当化されてしまうところに、措置入院制度の人道上重大な問題が隠されています。しかも、患者を閉じ込めている張本人たちは、「あなたのためを思えばこそ」という愛と慈悲に満ち溢れています。しかし、愛は人を救わない。「愛にあふれたキモいおじさん」ぐらいはた迷惑なものはありません。
結局のところ、現行措置入院制度を温存したままでは、2つのリスクが生じます。
第一に、市民にとっての社会保安上のリスクです。病院は留置場ではなく、看護師は看守ではありません。したがって、本来危険人物を閉じ込めておくにはひ弱すぎます。そのうえ、退院と同時に社会保安上のリスクが発生します。措置入院解除後に警察に差し戻す手段がありません。したがって、退院直後から地域社会は重大な保安上のリスクを背負うことになるでしょう。
第二に、対象者の人権上のリスクです。警察官なら24時間しかできない予防拘禁が、措置入院においては事実上無制限に可能です。裁判所もチェックしません。しかも、措置解除の判断は、精神保健指定医の決定ではなく、行政の決定です。精神科医には「措置症状消退届」を出すことはできますが、お役所の胸三寸で「不受理」とすることができます。首長がひとこと、「調整会議が不十分だ」とか、「支援計画に不備がある」とか、適当に言えばいいだけです。制度上、無期限の拘禁が可能です。ここに措置入院の「逮捕状なき逮捕、裁判なき無期限拘禁」の重大なリスクがあります。使い方次第で戦前の治安維持法体制の再現も可能なのです。
それにしても、「相模原の悲劇を繰り返さないためには、治安のための警察、人権のための裁判所、治療のための医療の3つが必要だ」などとは、あまりにも平凡な意見です。専門家でなくても、公民を習ったばかりの中学生でも理解できるような、陳腐な意見であるといえます。
本書は、たかだかこの程度の簡単な結論を言うために書いたにすぎません。ただ、事件の背後にある精神医療と刑事政策との関連については、多少込み入った問題もあるので、読者の皆さんにとって退屈な印象も与えかねません。
読者の皆様におかれましては、議論の途中にわかりにくい箇所があっても、「要は、1.安全と2.人権と3.健康のために、(1)警察と(2)裁判所と(3)精神科医の三つ必要なんだろう」という感じで、読み流していただけますと幸いです。
なお、今後、予想される裁判に影響を及ぼさないように、対象者の責任能力に関するコメントは控えております。
本書をまとめるにあたり、以下の先生方・諸学兄との討論にて多くの示唆をいただきました。そのほかに数えきれない方々との討論が行われております。すべてのお名前をここに挙げることができず申し訳ありません。いうまでもなく、本書のすべての責任は著者である井原裕にあります。しかし、もし本書に多少とも意義のある内容が含まれているとすれば、それらはすべて諸先生方のご賢察がもたらしたものであり、ここに御礼申し上げます。
安部哲夫、藤井千代、古川俊治、原 昌平、平田豊明、石原孝二、岩波明、神馬幸一、加藤久雄、工藤耕太郎、黒岩祐治、前村 聡、松本俊彦、中島 直、信原幸弘、太田順一郎、岡崎伸郎、大野兼二、大竹直樹、榊原英輔、関 正樹、瀬戸秀文、椎名明大、反町 理、田所重紀、高木俊介、館林牧子、八木 深、吉岡眞吾(以上、敬称を省略させていただきました)。

【著者略歴】
井原 裕(いはら・ひろし)
1962年鎌倉生まれ。獨協医科大学埼玉医療センターこころの診療科教授。東北大学(医)卒後、自治医科大学大学院(医学博士)、ケンブリッジ大学大学院(PhD)修了。順天堂大学准教授を経て、2008年から現職。日本の大学病院で唯一の「薬に頼らない精神科」を主宰。専門は、精神鑑定、うつ病、発達障害、プラダー・ウィリー症候群等。著書に『生活習慣病としてのうつ病』(弘文堂)、『うつの8割に薬は無意味』(朝日新書)、『うつの常識、じつは非常識』(ディスカバー21)、『うつ病から相模原事件まで―精神医学ダイアローグ』(批評社)、『薬に頼らないこころの健康法』(産学社)、『「子どもの発達障害」に薬はいらない』(青春出版社)など。

目次

はじめに
―――――――――――――――――――3
第一章
相模原事件と精神医学
―――――――――――――――――――――――――――――――14
●相模原事件の概要……14 /●メディアは措置入院ばかり取り上げた……14 /●措置
入院後4カ月で事件発生……15 /●被疑者の手紙を読む……16 /●手紙は統合失調
症の人のものではない……17 /●統合失調症の支離滅裂とは……18 /●「作戦内容」
と称する犯罪予告……20 /●警察における情報伝達……20 /●警察の初動……22 /
●警察官通報、措置入院……23 /●警察官職務執行法(警職法)=実行行為なき身
柄拘束……24 /●警察官職務執行法と予防拘禁……26 /●デートもできない警職法
……27/●警職法は裁判所の監視下にある……29 /●措置入院とは「裁判なき無期拘
禁」……31 /●精神科救急と緊急措置入院の常態化……32
第二章
被疑者は精神障害なのか?
―――――――――――――――――――――――――――――――34
●「470人抹殺!」は精神障害なのか?……34 /●措置診察における無言のプレッシャ
ー……35 /●警察官に取り囲まれて措置診察……36 /●次の2つのうちから1つ選べ:
「要措置」「措置不要」……37/●それでも「措置不要」と判断したら……39 /●胆力の
ある精神科医ならどうするか……40 /●悪態は妄想ではない……42 /●思い込みは妄
想か?……44 /●小田晋の「支配観念」論……45 /●支配観念と犯罪……47/●妄想
と犯罪……48 /●妄想と精神医学の限界……50 /●大麻使用には通報義務はないの
か?……51 /●診断が5つもある?……53
第三章
予防拘禁としての措置入院
―――――――――――――――――――――――――――――――56
●知事の決定としての措置入院……56 /●リベラル知事と保守派キャスター……57/
●知事には責任もあるが、権限も大きい……59 /●精神保健指定医は知事に逆らえ
ない……60 /●措置入院は有事に濫用される……62 /●措置入院はとりわけ都市部
で濫用される……63 /●予防拘禁としての措置入院……64 /●逮捕状なき逮捕……
66 /●精神神経学会の混乱……67/●ヘイト思想と措置入院……69 /●政治思想と
措置入院……71 /●治安維持法並みの措置入院……73
第四章
世界の精神医学濫用
―――――――――――――――――――――――――――――――75
●精神医学と国際人権擁護NGO……75 /●ソビエト精神医学と思想統制……76 /●
ソビエトにおける科学の弾圧……78 /●ソビエトとドイツ……79 /●スラギッシュ統合
失調症……81 /●ソビエト精神科医とKGB……83 /●悪意なき犯罪……85 /●ソビエ
トとサガミハラ……86 /●ルーマニアにおける事例……88 /●ロビン・マンローによ
る中国情報……89 /●法輪功ブームと臓器狩り……91 /●臓器売買と移植医療……
92 /●安康医院隶属于公安机?……93 /●ソビエト精神医学の中国への影響……94
/●具体的な濫用のケース……96 /●新型弾圧としての精神医学濫用……97 /●精
神医学の濫用をどう食い止めるか……99 /●中国の精神衛生法2012……100 /●中
国精神衛生法の評価……101 /●中国では、三権分立が確立していない……103
第五章
反体制運動の延長としての保安処分反対闘争
―――――――――――――――――――――――――――――――104
●措置入院とは「ブレーキのない車」……104 /●治安の維持は国家の最低限の仕事
……106 /●国民は障害者の殺人事件を歓迎しない……107 /●萩原朔太郎の「医者
の正義」……108 /●善良な障害者≠危険な障害者……110 /●辛坊治郎の障害者差
別批判……111 /●保安処分反対イデオロギーと措置入院……112 /●保安処分に反
対したから、措置入院が保安処分化した……113 /●保安処分反対論による措置入院
批判……115 /●保安処分反対論者が脱法保安処分を行っている……116 /●保安処
分反対イデオロギーの自家撞着……117 /●保安処分反対集会へも時々出かけた……
118 /●学生運動と保安処分反対……119 /●市民なくして市民運動なし……120 /●
太宰治の描く反体制運動……122 /●保安処分反対運動の悲劇……123 /●ペンロー
ズの法則……125 /●市民の価値観より同志の結束を優先……126 /●誰も「保安処
分」を理解していない……127 /●イデオロギーの末路……128 /●「障害者階級」とい
う階級は存在しない……130 /●保安処分反対主義者は精神障害者を刑務所送りに
したい……131 /●保安処分反対主義者は刑法39条にも反対?……132 /●呉智英の
「珍左翼」と保安処分反対イデオロギー……134 /●保安処分反対主義者のオウンゴ
ール……134 /●批判の矛先は何よりも保安処分反対主義者たち自身へ……136 /●
精神障害者は行政から独立しては生きていけない……136 /●すべてがむなしい夢だっ
たとはいえない……137
第六章
相模原事件、そして、事後の検証
―――――――――――――――――――――――――――――――139
●措置入院退院後……139 /●直ちにその者を退院させなければならない……141 /●
精神障害によらない自傷他害のおそれ……142 /●警察への協力と守秘義務……143
/●最大のポイントは片道切符問題……145 /●措置入院後の継続支援:目的は治療
か、治安か?……146 /●地域社会のなかでモニターする……147 /●山東議員のGPS
をめぐる発言……148 /●措置入院はGPSよりはるかに悪質……150 /●メディアのア
ナウンス効果……151 /●都市伝説に確証を与えた山本レポート……152 /●学会・学
界の対応……153 /●日本精神科病院協会のコメント……154 /●措置入院はカフカ
の世界……155 /●措置入院の濫用を防ぐ……157 /●措置入院に日数制限を!……
158 /●英国(イングランド)の制度と比べて……159
第七章
この国に生まれたるの不幸
―――――――――――――――――――――――――――――――162
●精神保健法制の忘れ物……162 /●無用の厳罰より必要な治療をこそ……164 /●
比較法学・開発法学の必要性……165 /●大衆民主主義と刑事政策……166 /●森
村誠一『悪魔の飽食』のインパクト……167 /●医学は有事にあっては濫用される……
168 /●とりたくなかった精神保健指定医……169 /●強制治療は最小限にすべき……
171 /●刑事政策は精神科医をして医療に専念させる……172 /●精神医学界の混乱
と学生運動の終焉……173 /●左翼系メディアの偏向報道……175 /●左翼系メディア
の勉強不足……176 /●放送禁止用語のようになった保安処分……177 /●来るべき
法制度……177 /●公共の福祉と人権の保障……178 /●精神科医に「癒し系」の話だ
けを求めてもらっても困る……180 /●草食系だからこそ、肉食を強いられるのは耐え
難い……181 /●保安処分反対イデオロギーの終焉……182 /●障害者とともに生きる
社会のために……183
おわりに
―――――――――――――――――――186
文献
――――――――188

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