TOP 地域史と民俗 天地始まりの聖地 長崎外海の潜伏・かくれキリシタンの世界

天地始まりの聖地 長崎外海の潜伏・かくれキリシタンの世界

  • 松川隆治・大石一久・小林義孝・長崎・外海キリシタン研究会編
  • 価格 2800+税円
  • 判型:A5判、280ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0680-9
  • 初版発行年月 2018年5月10日
  • 発売日 2018年5月12日

内容紹介文

2018年5月4日、文化庁は「長崎と天草地方の潜伏・かくれキリシタン関連遺産」 をイコモスが2018年の世界遺産として登録することをユネスコに勧告したと発表しました。
フランシスコ・ザビエルが日本に布教に来て以来(1550年)、468年の歳月が流れましたが、日本に初めてキリシタンが登場したのは、大阪河内の飯盛城で三好長慶が認めて以来です。キリシタン大名が登場し、南蛮交易と同時にキリスト教が民衆の間に広く深く浸透していったのでした。
しかし、当初布教を認めていた豊臣秀吉は突然禁教政策に転換して厳しい弾圧によって民衆に棄教を迫りますが、開国・欧化によって欧米の圧力も加わり、1873年(明治5年)の高札撤去によって禁教政策は終焉します。
日本における潜伏・かくれキリシタンという独特の信仰理念と生活の実相が初めて世界的に認められたことは、いままでの研究の評価を著しく高めると同時に、将来に向けて大きく飛躍してゆくのではないかと思います。


はじめに――天地始まりの聖地・外海

大石一久
長崎県の西にし彼その杵ぎ半島は、急峻な山岳が東シナ海の荒海にそのまま突っ込む外そと め 海と大村湾の穏やかな波間にとけ込む内うち め 海からなり、同じ半島とはいえ、その地勢は対照的である。ただ、ともに後背地に乏しく、かつては「陸の孤島」とまでいわれ、人々の往来には厳しい環境をなしていた。
この「陸の孤島」の表現は、移動や物流の主体が陸上の道(街道)に取って代わった近世以降の喩えであり、それ以前の中世までの主なルートは海上であった。今でいう高速道路も海の道であり、人々の往来はいうまでもなく、多くの物流も海の道を通して行われた。しかも陸上の道に終点があるのとは違い、海の道はいわばエンドレスの道であり、遠い異国の地とも結ばれた。幸いにも外海がもつ深い入り江は天然の良港として外航船の出入りを容易にし、ある時にはサービスエリアとしての機能も果たした。『日本史』の著作で有名な宣教師ルイス・フロイスが日本への第一歩を踏んだのも、半島北部の横瀬浦であった。
また、当半島は、その独特の変成岩帯から採石した石製品において国内向けの一大生産地であった。
滑かっせ き 石という石材からは石鍋が大量に製品化され、北海道を除く日本列島のほぼ全域に販路を拡大させて西海の名を一躍全国に知らしめた。まさに西彼杵半島が生んだ中世のブランド商品である。
この滑石は、外海の潜伏キリシタンが伝えた「天地始之事」の中にも登場する。「まさん」(リンゴ)を食して神の国から追放された際、下界にあたる自分らの住む土地を「ごうじゃくの地」として神によって選ばれた聖地と見立てている。この「ごうじゃく」(合石)とは温石(おんじゃく)を指しており、地元名産の滑石のことである。それだけ滑石はシンボリックな石として地元民に親しまれていた。
外海は、遠藤周作の『沈黙』の舞台となったことでも有名である。遠藤は、禁教下の外海に架空の集落トモギ村を設定し、日本に潜伏したセバスチャン・ロドリゴ神父を集落の信徒たちが山中の炭小屋に匿う。
神父は、昼間は蚤が這い回る藁の中で身を隠し、朝がた山を登ってくる二人の信徒の告悔をききオラショ(祈り)をあげる。万一官憲に見つかれば死罪、それでもなお村人は神父を匿う。いかなる弾圧にも屈しない神への篤い信仰とパライソへの希求、この最大の関心事に信徒と宣教師が一体となって結びついているシーン、それがこの外海で展開されている。
ところで、本書で扱う潜伏キリシタン集落は外海南部の一エリアに限定されており、正確には外海南部の潜伏キリシタンである。地勢的に半島北部とはやや異なり深い入り江の良港にはあまり恵まれていないが、半島南部にも北部同様に海を意識した勢力がいたことは中世石塔の存在から裏付けられる。
近世に入ると半島全域は大村藩領に属していたが、外海南部の潜伏キリシタン集落で核をなす集落といえば佐賀藩深堀領の飛び地六カ村であり、その周囲に点在する大村藩領の数カ村が潜伏集落として含まれているというのが実体である。深堀領飛び地六カ村には、先述した外海版創世記ともいうべき「天地始之事」や「雪のサンタマリア」、「十五玄義図」などの聖画が伝わり、近世を通じて御禁制のキリシタン長墓が築かれていたのも深堀領飛び地の集落であった。その背景には絵踏みをも実施しない佐賀藩深堀領の緩やかな禁教策にあったわけで、大村藩の厳しい弾圧とは対照的である。
外海南部の潜伏キリシタンについては、これまで幾多の先学により調査研究がなされ多くの貴重な学術成果が報告されているが、佐賀藩深堀領飛び地集落と大村藩領集落との区別化が希薄であり、一括りに外海キリシタンとして扱われる傾向が強かった。その中にあって最初に深堀領飛び地に注目したのは、『昭和時代の潜伏キリシタン』の著者・田北耕也であった。田北は、「外海地方にキリシタンを保存したのは、主として佐賀藩であった」とした上で、佐賀藩深堀領飛び地における緩やかな禁教対策が外海南部に潜伏キリシタンを温存せしめた最大の理由であり、周辺に散在する大村藩領の潜伏組織維持にも大きく影響したとしている。ただ、絵図や遺構に基づいた実証的な藩境の区別化は不十分であり、その後の研究者も、総体として深堀領飛び地の存在を指摘する程度に留まっていた。
これまで支配領域の違いにあまり注目が及ばなかったことには、いくつか理由が挙げられる。その中で最大の理由は藩境の複雑さにあると思われる。その複雑さのために実証的な調査研究が進まず、両地を一括りにして扱わざるをえなかったものと思われる。
この煩雑な問題に取り組んだのが地元在住の松川隆治であり、それを地図に落として視覚化したのが長瀬雅彦である。両氏の地道な調査研究の成果は大変に貴重で、これにより、今後より実体に即した研究が進み、深堀領飛び地六カ村がもつ潜伏キリシタンとしての独自の宗教世界が、大村領の潜伏集落との比較の中で、一層解明されていくものと思われる。とくに松川の業績には計り知れないものがあり、その論考は本書作成の契機をなした労作である。
本書では民俗学、文献史、美術史、宗教学、考古学、石造学など各領域からの貴重な論考を収録することができ、編集者の一人として深く感謝している。しかも各領域からのアプローチとはいえ相互に関連しており、新しい視点から多面的学際的に外海南部の潜伏キリシタン世界を描いている。
本巻では外海南部の潜伏キリシタンを特集し、その冒頭には谷川健一の「かくれキリシタン紀行」を再録させていただき、巻末には『昭和時代の潜伏キリシタン』の著者田北耕也とオラショ研究でも著名な音楽家皆川達夫の対談も再録した。また、岡美穂子、浅野ひとみ、児島康子、中園成生、柳沢礼子の各氏には、それぞれの専門分野から貴重な玉稿を賜り、外海南部の潜伏キリシタンをより多角的に展開していただいた。大石の拙稿も、対象が外海南部の潜伏墓地であるために本巻に収録した。西田奈都、松尾潤の両氏にも貴重な原稿をいただき、本書をより膨らみを持たせた内容にしていただいた。
外海南部の潜伏キリシタン世界は、「天地始之事」で聖地・外海の空間を設定し、バスチャンの「日繰り」で時間軸を規定、「オラショ」で日常の信仰生活を示しながら御禁制のキリシタン長墓で信仰の完結と共同体への帰属が示されている。しかも、そこに日本伝統の習俗との共存が並行して流れており、極めて特異な信仰世界が垣間見れる。それだけ外海南部のキリシタン世界には公認期、潜伏期、かくれ期の各時代を通じて宗教がもつ時空を越えた深層性が保持されており、本書がその深層性にどこまで迫れたかは読者の皆さまの判断による。各位のご教示を仰ぎたいと思う。
末筆ながら、本書作成にあたり、公私にわたりご協力いただいた関係者各位及び各機関に心からお礼を申し上げたい。
なお、本書では、「潜伏キリシタン時代」を一六一四(慶長一九)年の全国禁教令から高札が撤去された一八七三(明治六)年までとするが、明治六年以降も潜伏時代の信仰を守り通したキリシタンについては、各著者の意向を尊重して「カクレ」「かくれ」「隠れ」で表記し、統一した表記を避けていることを断っておく。
*本書を、二〇一五年六月に急逝された故・松崎武氏の霊前に捧げたい。氏は、生前中、垣内集落の墓地や信仰組織の調査にご協力いただき、調査のたびにご自宅にお招きいただき貴重なお話をうかがうことができた。そこにはいつも心温まるご馳走が用意されており、「遠慮するな、はよう食べろ」が口癖であった。本書作成の話が持ち上がった時には原稿も書くよという約束までしていただいたが、それも叶わぬままとなった。本当にふる里を愛し、父の代で途絶えたかくれ信仰に自らの責任を重ねていたように思われた。何事にもひたむきで屈託のない真摯な松崎さんに出会えていなかったら、本書はできなかったものと思っている。心からご冥福をお祈りすると同時に、感謝を込めて本書を捧げます。

【執筆者略歴】
(執筆順)
谷川健一(たにがわ・けんいち)
1921年熊本県水俣生まれ。民俗学者、地名学者。在野の学者として、日本文学や民俗学研究の世界で多くの優れた研究書を著した。はじめ平凡社の編集者として『風土記日本』『日本残酷物語』の編集を担当し、雑誌『太陽』の創刊にも携わる。『最後の攘夷党』が第55回直木賞の候補となる。
1970 年以降、独自な民俗学を構築。日本文学の源流を表した「南島文学発生論」は高い評価を得る。2007年に文化功労者。『谷川健一全集』全24 巻(冨山房インターナショナル)2013 年没。享年92 歳。

西田奈都(にしだ・なつ)
長崎市職員(事務職)。世界遺産登録業務に携わったことをきっかけに、松川隆治氏・大石一久両氏の指導を受け、外海の潜伏・かくれキリシタンの世界の調査にかかわる。長崎外海キリシタン研究会会員。

児島康子(こじま・やすこ)
熊本大学大学院社会文化科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。熊本県天草地方、長崎県外海地方における潜伏キリシタン・カクレキリシタンを中心に研究。「天草異宗事件おける対処方針――「天草吟味方扣」を通して――」、「外海のカクレキリシタンにおける信仰組織の変遷」等、十数本の論文を執筆。

中園成生(なかぞの・しげお)
熊本大学で民俗学を専攻、佐賀県教育委員会、呼子町を経て現在、平戸市生月町博物館・島の館学芸員。おもな研究テーマは漁労民俗、捕鯨史、かくれキリシタン信仰など。主要著作は『生月島のかくれキリシタン』(島の館)、『くじら取りの系譜』(長崎新聞社)、『鯨取り絵物語』(共著)『かくれキリシタンとは何か』『かくれキリシタンの起源』(以上、弦書房)など。

長瀬雅彦(ながせ・まさひこ)
長崎市役所勤務(土木職)。まちづくり部門等を歴任した後、世界遺産登録推進業務に携わる。
土木術としての知識を活用し、古地図と現代の地図を重ね、土地利用の変遷を視角化した。長崎外海キリシタン研究会会員。

浅野ひとみ(あさの・ひとみ)
東京生まれ。名古屋大学文学研究科博士課程前期修了、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学博士課程単位取得修了、お茶の水女子大学人間文化研究科修了、人文科学博士。専門は主にスペイン語圏中近世キリスト教美術史。単著『スペイン・ロマネスク彫刻研究』九州大学出版会(2003)、共編著『千提寺・下音羽のキリシタン遺物研究(科研:23652026)』長崎純心大学(2014)など。2000 年より長崎純心大学人文学部比較文化学科に着任、美術史、西洋文化史(キリスト教巡礼)、世界遺産学などを講じる。サンティアゴ巡礼を始めとして、中世のキリスト教巡礼、聖地と信仰具に関心があり、毎年、ヨーロッパなどで研究調査を行っている。

岡 美穂子(おか・みほこ)
東京大学史料編纂所准教授。16・17世紀の日本人のキリスト教受容と幕末・明治期のキリシタン信仰の相関性について研究を進める。著書に『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』(東京大学出版会)、『大航海時代の日本人奴隷』(共著、中央公論新社)等がある。

柳澤礼子(やなぎさわ・あやこ)
株式会社文化財保存計画協会に勤務。日本各地の文化財整備や計画作成のコンサルティングを行なう。平成二十三年から始まった外海の文化的景観の調査、および文化的景観選定後の整備活用計画に従事する。

松尾 潤(まつお・じゅん)
1968 年、長崎市生まれ。早稲田大学教育学部卒。1993 年、長崎新聞社に入社。報道部、運動部、大瀬戸支局、整理部、生活文化部勤務を経て、現在報道部次長。2014 年から世界遺産担当としてキリシタン遺産や近代化遺産を中心に取材している。

皆川達夫(みながわ・たつお)
1921年東京生まれ。音楽学者、合唱指揮者。中世・ルネサンス音楽の研究で知られる。立教大学名誉教授。また四半世紀にわたって日本の潜伏・かくれキリシタンに歌い継がれてきた宗教音楽「オラショ」の研究を行う。「バロック音楽の楽しみ」「音楽の泉」などラジオ番組を担当し、西洋音楽に普及につとめる。『バロック音楽』『洋楽渡来考』『オラショ紀行』など著書多数。

田北耕也(たきた・こうや)
1896 年奈良県で生まれる。大阪高等工業学校採鉱冶金科(現大阪大学工学部)卒業後、熊本市で教員に。30 歳の時に九州帝国大学法文学部に入学。卒業後、長崎の伊王島のカトリック集落の調査が契機となり、長崎外海、五島、平戸、生月島などのかくれキリシタンの集落調査を行い、「天地始之事」をはじめ多くの発見をし、潜伏・かくれキリシタンの実態を明らかにした。その成果の集大成として1954 年に『昭和時代の潜伏キリシタン』(日本学術振興会)を刊行。戦後は名古屋の南山大学教授をつとめる。1994 年没。

編者略歴
松川隆治(まつかわ・たかはる)
長崎県長崎市在住、長崎県立高校教諭、長崎巡礼センター在籍外海潜伏キリシタン調査に従事、地元やテレビ、講演会で潜伏キリシタンの理解と検証を行っている。
枯松神社保存会会長、外海潜伏キリシタン文化資料館館長。長崎外海キリシタン研究会代表。

大石一久(おおいし・かずひさ)
長崎県立高校教諭、長崎県文化振興課、長崎歴史文化博物館に勤務。日本石造物研究会副代表。現在、大浦天主堂キリシタン博物館研究部長。中世の日引石塔研究を通して近畿から九州・東北に至る中世の海道・日本海ルートを解明するなど中世石塔研究を専門とする。近年はキリシタン墓碑の全国的な調査を行い『日本キリシタン墓碑総覧』(南島原市発行)、『戦国河内キリシタンの世界』(共編著、批評社)を編集・執筆するなどキリシタン墓碑研究を精力的に行っている。

小林義孝(こばやし・よしたか)
大阪府大東市市在住。摂河泉地域文化研究所理事、歴史民俗学研究会会員。古代から近世の葬墓制研究を行う。近年は河内を中心とする地域の歴史の解明につとめる。主な著作に『西国巡礼三十三度行者の研究』(共著、岩田書院)、『六道銭の考古学』(共編著、高志書院)、『戦国河内キリシタンの世界』(共編著、批評社)。また『陰陽師の末裔たち』『河内文化のおもちゃ箱』『ニッポン猪飼野ものがたり』(以上、批評社)などの編集を担当する。

目次

はじめに―天地始まりの聖地・外海…………………………………(大石一久)……1

特別再録 かくれキリシタン紀行………………………………………谷川 健一……10

天地始まりの聖地・長崎外海………………………………………… 松川 隆治……22
─潜伏キリシタンとその時代

  松川隆治先生と外海潜伏かくれキリシタン………………………西田 奈都……45

  「枯松」と墓標………………………………………………………大石 一久……50

2 外海のキリシタン世界………………………………………………児島 康子……53
─「天地始之事」、「バスチャン暦」にみる一考察

  なぜ「天地始之事」は伝えられたのか……………………………西田 奈都……77

3 かくれキリシタン信仰の地域差について………………………… 中園 成生……93

4 大村藩と深堀領飛び地の境界 ……………………………………松川 隆治……109

5 「元和八年三月大村ロザリオ組中連判書付」の地名と人名の図(解説)
                         …………長瀬 雅彦……122

6 外海地方のキリスト教関連遺物……………………………………浅野ひとみ……125

7 野中騒動と聖画………………………………………………………岡 美穂子……145

8 外海の文化的景観とその価値………………………………………柳澤 礼子……167

9 外海の潜伏キリシタン墓……………………………………………大石 一久……182
─佐賀藩深堀領飛び地六カ村と大村藩領の潜伏キリシタン墓の比較
 
松崎武さんのこと………………………………………………………松尾  潤……227

10 新天地を求めて……………………………………………………大石 一久……230
─外海から五島、そして新田原

特別再録 隠れキリシタン発見余聞…………………皆川 達夫・田北 耕也……248

あとがきにかえて―長崎と河内をつなぐキリシタン世界……(小林義孝)……270

執筆者略歴 ……279

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