TOP メンタルヘルス・ライブラリー 地域包括ケアから社会変革への道程[理論編]─ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践形態

地域包括ケアから社会変革への道程[理論編]─ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践形態

  • 中島康晴著
  • 価格 1800+税円
  • 判型:A5判、200ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0662-5
  • 初版発行年月 2017年5月25日
  • 発売日 2017年5月30日

内容紹介文

さあ、はじめよう!
社会福祉の世界から<革命>を 1

なぜなら、社会福祉の世界に現れる新自由主義下の矛盾は、生の極限まで追い詰められ、最後の絆に托すしかない怨念を背負った矛盾だからである。このエネルギーを社会変革の糧にすることなしには新たな社会を眺望することはきないのである。

100人いれば100通りの「普通」であることや「常識」があるにもかかわらず、それがまるで一つしかないかのように錯覚させられてしまう雰囲気が日本にはある。そしてそれが「錯覚」とわかっていても、「普通」じゃないと指摘を受けると日本人は委縮してしまう。
日本では、小泉政権が誕生した2001年以降から市場原理主義(ハイエク、フリードマンらノーベル賞学者によって提唱)という新たな保守主義が台頭し、自己責任論が大手を振って登場したが、政官財学のお偉方が誰も責任を取らない無責任な自己責任論が蔓延した一方、それまで比較的標準化されていた階層間格差が極端に拡大再生産されるようになった。
その結果、「世界の上位1%の最富裕層が世界の富の半分以上を保有し、上位20%がほぼすべて を保有する ......この流れが続けば、2016年までに1%の超富裕層が、世界の富の50%以上 を独占することになるだろうと、オックスファムは予想している」状況と同様に、日本では、1%の富裕層どころか上位40人が富の50%を独占し、全人口の1%の富裕層が99%の富を独占するようになった。
「一部の人びと」に富と権力が集中する一方で、人びとの暮らしに不可欠な社会保障・福祉を中心とした制度・政策の機能は減退の一途を辿っている。また労働分配率も1980年以降、株主優遇政策と企業の内部留保が推進されて所得格差が拡大した。
広井良典のいうように、社会保障・福祉には、不安な社会で安心感を与えるために経済活動の原動力となる相乗効果をもつ側面が認められるという。また、金子勝も「社会保障や社会福祉は、公共事業よりも雇用創出効果が大きい」ため、「社会保障費の削減で財政再建をしようとする現行の政策の方向転換を図るべき」としている。
翻って、ソーシャルワーカーの支援を必要とする人びとは、ジャーナリストが着眼すべき人びとと同様に、社会から黙殺され排除されている人びとである。しかし私が人生を変えるほど大きな影響を受けたジャーナリストたちの後輩は、ことごとく「普通」や「常識」に屈服してしまった。ジャーナリズムが頽廃し、すべてに効率性が優先化され、市場原理主義の道をひた走っているようだ。
しかし、私は諦めるわけにはいかない。なぜなら、現に私たちが構成するこの社会の下で排除され、抑圧されている人びとが確然として存在するからだ。他者の困難は看過できないし、また、その存在を許したり我慢してはならないのだ。ここに私の原点があるし立ち位置もある。
私たちの生き方は、常に誰かの暮らしと隣り合わせにある。誰かの絶望はやがて誰かの悲しみへ、誰かの喜びは誰かの希望へと、誰かの憎しみは誰かの怒りへと繋がっている。ソーシャルワークはそのことを念頭に置いて社会変革を志向しなければならないと思うのだ。
それは排除と包摂によって負の連鎖を継続することでは断じてない。排除されている人びとを社会に包摂していく全ての人間の尊厳へと帰結するあるべき社会の姿に接近する方へと向いて行かなければならないのだ。

【著者略歴】特定非営利活動法人 地域の絆 代表理事/公益社団法人 日本社会福祉士会 理事/公益社団法人 広島県社会福祉士会 相談役/現在、広島において10箇所の地域包括ケア「地域の絆」を経営している。
1973年10月6日生まれ。花園大学では、八木晃介先生(文学部教授)の下、社会学を中心に社会福祉学を学ぶ。
巷で言われる「常識」「普通」に対しては、いつも猜疑心を持っている。1億2千万人の客観性などあり得ない事実を鑑みると、「普通」や「常識」は誰にとってのそれであるのか、常に思いを巡らせておく必要性を感じる。いわゆる排除される側から常に社会を捉え、社会の変化を促すことが、実は誰もが自分らしく安心して暮らせる社会の構築に繋がると信じている。
主な職歴は、デイサービスセンター生活相談員、老人保健施設介護職リーダー、デイサービス・グループホーム管理者。社会福祉専門職がまちづくりに関与していく実践の必要性を感じ、2006年2月20日、特定非営利活動法人地域の絆を設立。学生時代に参加した市民運動「市民の絆」の名前を端緒として命名。代表理事。
資格/その他の活動 ■社会福祉士/■介護福祉士/■精神保健福祉士/■介護支援専門員役職 ■公益社団法人広島県社会福祉士会会長(2011年度? 2014 年度) /■公益社団法人広島県社会福祉士会相談役(2015年度? ) /■公益社団法人日本社会福祉士会理事(2015年度? )■広島県認知症コーディネーター/■福山平成大学非常勤講師(『社会福祉援助技術』:2007年度? 2013年度) /■東北大学大学院教育学研究科博士課程在学中(2014 年度? )
著書として、『地域包括ケアの理論と実践─社会資源活用術』 (介護福祉経営士実
行力シリーズ、2014 年6月刊、日本医療企画)。
E-mail:nakasima@npokizuna.or.jp

【はじめに】
シャルワーカーの視座はほぼ同一であるといえる。ソーシャルワーカーの支援を必要とする「人びと」は、ジャーナリストが着眼すべき「人びと」と同様に、社会から黙殺され排除されている「人びと」を指す。その意味において、ソーシャルワーカーにも、多くの人びとが信じて疑わない「普通」や「常識」と対峙することが、ジャーナリスト同様に求められてくる。両者が異なるのはその実践のあり方にある。ジャーナリストは、広い分野から事実を捉え、そして、広範囲に情報を発信する(この世に客観的な事実などないことを鑑みれば、この情報はジャーナリストの主観に依拠している)。しかし、それは重要だが、ジャーナリストが直接介入する範疇にはそれ以上の展開はない。他方、ソーシャルワーカーは、「人びと」に対する支援を通して、集団のあり方を変え、地域を変容し、その堆積の先に社会を変革することに関与する。ジャーナリストに比べ、影響の範囲は狭いかもしれないが、社会を変革するところにまで、実践の射程をおいている点がソーシャルワーカーの第一義的な魅力だと私は思っている。だからこそ、私は、いまソーシャルワーカーの仕事をしているのだ。
しかし、残念なことに、上記のようなジャーナリストもソーシャルワーカーも、現代社会においては、かなりのガラパゴス化が進んでいる。私が人生を変えるほどの影響を受けたジャーナリストたちの後輩は、ことごとく、「普通」や「常識」に屈服した。もはや、ジャーナリズムが凋落し、経済の効率性が優先化された情報産業への道をひた走っているようだ。ソーシャルワークも同様だ。上記のような志のあるソーシャルワーカーは正直多くはない。しかし、私たちは、諦めてはならない。いや、諦めるわけにはいかない。なぜならば、現に、私たちが構成しているこの社会構造のもと、排除され、抑圧されている人びとが確然として存在するからだ。彼らを傍目でとらえ、それを仕方ないことだと諦めることができるだろうか。
この様な他者の困難は看過できないし、また、我慢してはならないのだ。
ここに、本書を書くことを駆り立てさせた私の原点がある。この社会から排他・排斥された「人びと」に希望を与えられる人がソーシャルワーカはじめにーであって欲しい。「人びと」の痛みや困難を我慢できない人がソーシャルワーカーであるべきだ。私の立ち位置はいつもここにある。実践家としての私は、そして、社会的企業の経営者という側面も有する私は、その時々に、冷静で冷淡な判断を下さざるを得ない場面がある。それは、自らが強く揺さぶられるジレンマであり苦悩である。そんな私だが、私の真の基点はいつもここにある。
ジャーナリズムやソーシャルワークが伸張しない社会は危険である。なぜならば、それは、社会から排除されている人びとに、誰も救いの手を差し伸べることができない社会だからだ。そんな社会の危機にあって、ジャーナリズムもソーシャルワークも今重大な岐路に立っている。その覚悟をもって本書をしたためた。
もちろん、私たちがまず直面し、なすべきことは、社会から度外視され排除されている「人びと」の権利擁護にある。しかし、この実践の先には、「人びと」を排除してきた人びとを含めたすべての人間の尊厳保障が待っている。なぜならば、私たちは、「他の人の存在を禁じながら、自分だけが本当の意味で存在することはできない*1」し、「他人を不自由にして、自分が自由になれることなどけっしてありえない。*2」からだ。
つまり、この社会構造のもとでは、「排除する側」の人びとも、いつかどこかで「排除される側」に位置付けられる。そんな脆弱な社会との決別を志向しなければ、全ての人間の尊厳は保障されない。
私たちの生き方は、常に誰かの暮らしと隣り合わせにある。誰かの絶望はやがて誰かの悲しみへ、誰かの喜びは誰かの希望へと、誰かの憎しみは誰かの怒りへと繫がっている。そのことを念頭に置いた社会変革をソーシャルワークは志向しなければならない。それは、排除してきた誰かを、押し戻して、逆に排除していく、この様な負の連鎖を連続させる社会変革では断じてない。それは、排除されている人びとを社会に包摂していく、全ての人間の尊厳へと帰結するあるべき社会の接近へと向いている。つまり、これは人間の尊厳を守るための挑戦であり実践だ。
この最も勇気と信念を必要とするソーシャルワークに力を与え、またその促進のために一石を投じる思いで今これを書いている。ソーシャルワークのこれからの展望が、人間の希望になるために。

*1 パウロ=フレイレ(2011)『新訳 被抑圧者の教育学』(三砂ちづる訳)P.113亜紀書房
*2 鎌田 慧(1992)『ぼくが世の中に学んだこと』PP.215-216筑摩書房

目次

はじめに―3

凡例―7

第一章
ソーシャルワークと社会変革
―新自由主義に対抗するソーシャルワークの潜在力―12

●人間の尊厳と新自由主義 12
●ソーシャルワークの特有性と可能性 21
●ソーシャルワークが新自由主義に加担する危険
 ?社会福祉基礎構造改革を問い質す 26
●社会構造を「人びと」の視座から捉える
 ?ソーシャルワークにおける社会変革の勘所 54
●国境と民族の境界を超えて社会を捉える 75
●時代を超えて社会を捉える
 ?持続可能な社会構築への貢献 80
●本書で社会変革を取り上げる理由 83
●社会変革と地域包摂
 ?本書で取り上げるソーシャルアクションの実践形態 86
●地域包括ケアから地域変革へ
 ?従来の地域包括ケアに欠けていた「まちづくり」と「住民参加」 102
●私たちはいつから「経済学者」になったのか
 ?ソーシャルワークの価値に依拠した理論と実践を貫徹せよ! 107

第二章
「暮らしたい場所で暮らし続ける自由を守る」
―新自由主義における「自由」の実相―111

●暮らしたい場所で暮らし続ける自由を阻害するもの 111
●暮らし方の自由を守るための実践 122
●新自由主義における「自由」の実相 130

第三章
ソーシャルワークからみる地域包括ケア―133

●人間の尊厳保障に資する地域包括ケア
 ?「本人の望む場所で、本人の望む暮らしを」志向する 133
●地域発の地域包括ケアの実践
 ?実践から理論をつくる 138
●公的責任の逃避としての地域包括ケア
 ?自助・互助・共助・公助における序列化の弊害 145
●Integrated careからInclusive careへ
 ?多職種連携から地域包摂へ 167
●ソーシャルワークの位置づけがなされていないことの弊害
 ?ケアマネジメントとソーシャルワーク 173
●地域に「ひらく」ことによって進展する共生ケア
 ?「我が事・丸ごと」の可能性と危険性 183
●地域包摂・地域変革に資する地域包括ケア 192

あとがき――195

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