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「精神医療」 84号 特集=国家意志とメンタルヘルス

  • 岡崎伸郎+太田順一郎+中島 直・責任編集
  • 価格 1700+税円
  • 判型:B5判、160ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0651-9
  • 初版発行年月 2016年10月10日
  • 発売日 2016年10月12日

内容紹介文

精神医療従事者は、公権力の代理人として人の権利を制限する側に立たなければならない局面があるからこそ、不断の自己点検を自らに課してきたと言える。また、人間の精神の自由について至上の価値をおくからこそ、公権力との関係に鋭敏にならざるを得ないのであるが、1926年(大正15年)、1961年(昭和36年)、1974年(昭和49年)の刑法改正に合わせて目論まれた保安処分に反対した闘争以降、果たして精神医療従事者は、今日ではどのような姿勢で公権力と向き合っているのだろうか。
精神保健法(1987年施行)によって刷新された国家資格の精神保健指定医制度は日本精神神経学会の反対にもかかわらず施行され、実際の臨床現場では、措置入院(強制入院)に際して指定医2名の診断で措置入院の可否が決定できること、入院治療者の院内での隔離、身体拘束を指示できること、などが日常的に行われているなかで、国家意思に馴らされずに自己点検できている医師がどれほどいるだろうか。
触法精神障害者に適用される医療観察法についても、日本精神神経学会をはじめとする関係諸機関がこぞって反対の意思を表明してきたが、社会防衛的な精神医療政策によって、豊かな財政措置と恵まれた医療環境のなかで刑期のない"刑務所"に幽閉されていると言ってよい。
新自由主義体制と戦前回帰との政治理念を標榜する自公連立政権によって、この間の安全保障政策と国内治安秩序の監視・管理体制の強化は、改正道路交通法、特定秘密法護法、ストレスチェック制度などに端的に現れている。一方で、フクシマの惨状を放置したまま帰還奨励策を推進し、県外移転した被災者の補償打ち切りと放射線被曝によって子どもたちの甲状腺がんの増大が明らかであるにもかかわらず、因果関係を否定する常套手段で乗り切り、原発再稼働を無責任に再開しようと画策している。
こうしたなかで2016年7月26日、相模原市の津久井やまゆり園で元職員による知的障害者の大量殺人事件が勃発した。「生きるに値しない生命の抹殺」という恐るべき優生思想の価値観に囚われた若者の犯罪だが、この事件の真相はいまだ明らかにされていない。
しかし、安倍自公連立内閣は、さっそく措置入院制度の見直しを命じ、所轄官庁が着手し始めた。精神医療従事者は、危うい国家意思の赴くままに有効な反対運動を組織できないまま翻弄されてしまってはならない。
強固な<国家意思>が受容と包容を旨とする<メンタルヘルス>に挑みかかり、国家を、社会を、国民を危機の坩堝へと叩き込む流れに抗して行かなければならない。
【巻頭言】
国家意志とメンタルヘルス
岡崎伸郎(Okazaki Nobuo)国立病院機構仙台医療センター,本誌編集委員

1●ソフト化する国家意志とメンタルヘルス

大学医局講座制解体闘争と精神医療開放化運動の時代以降、精神科医をはじめとする精神保健医療従事者とは、権力(的なもの)と自らの仕事との関係について鋭敏であり、それとの距離の取り方にとりわけ腐心する人の集まりであった。精神医療がいわば公権力の代理人として人の権利を制限する側に回らざるを得ない局面があるからこそ、そうした役割を担う者は公権力との関係についての不断の問いかけを自らに課してきたのだ。
また精神保健医療従事者とは、人間の精神の自由ということに至上の価値を置き、それに介入しようとする企てに対しては常に厳しい態度で臨む人であった......。
ここまでの文章を過去形で綴った。それというのも、現在の精神保健医療従事者も権力との緊張関係を保つことに自覚的であろうか、また精神の自由の守護者たらんとしているだろうか、そして将来の精神保健医療従事者もそのようにあり続けるだろうか、という点について確信が持てない状況になりつつあるからである。
今日、権力(あるいはその動因としての「国家意志」と言ってもよい)の姿は捉えにくくなった。もちろんそれは権力が弱体化したからではない。権力の側も昔日に比べてその権力性を剥き出しにすることがなくなり、よりソフトで巧妙な装いをまとうことが多くなったからである。その装いは、時に公衆衛生や予防医学の重視であったり、「安全・安心」で「健康・長寿」な社会の実現というスローガンであったりする。20世紀後半にフーコーMichel Foucaultが生─権力bio-pouvoirの概念によって示してみせたことが、21世紀の日本で着実に進行しつつあるということかもしれない。
問題は、権力の仕掛けるこうした装置に、今どきの精神保健医療従事者が無自覚に、しかも多くは善意をもって組み込まれ始めているようにみえることだ。今日、国家意志とメンタルヘルス専門職との関係は、かつてないほどに緊張緩和した状態にあるといってよい。しかもそれは、私たちの主体的決断の結果としてそうなったというよりは、私たちの内なる理念的問いかけの衰弱の結果であるようにみえる。

2●精神保健指定医、医療観察制度の定着...なのか?

近過去を振り返る。例えば精神衛生法が精神保健法(1987年施行)に刷新された際に導入された精神保健指定医制度。これに当時の日本精神神経学会は反対した。この新たな国家資格が精神医療の国家統制のための道具となる危惧を察知した人が多かったからである。それから約30年を経た今日、措置入院の要否を診断する精神保健指定医のなかで、あるいは入院患者の隔離や身体拘束を指示する精神保健指定医のなかで、国家意志を具現するプロセスに加担していると自覚しながらそれを行う人がどれだけいるだろうか。今や多くの精神保健指定医にとって、日々の指定医業務は自動化しルーチン化しているといってよいだろう。
2015年に露見して現在も尾を曳いている精神保健指定医資格の不正取得問題。それについてもともすると、試験でのカンニングのレベルで語られるきらいがある。そこまででなくとも、どこかの学会の専門医資格の不正取得と同レベルで論じる意見が多くみられる。実際には精神保健指定医とは、人の自由を剥奪することの違法性を阻却するための国家資格である。絶大な権限を付託された公職といわなければならない。だからその詐取(しかも組織ぐるみも疑われる)とは極めて重大な事案なのだが、業界全体にそうした深刻さは感じられず、どこか三面記事的な扱いである。
精神保健指定医をめぐる昨今のこうした風潮を、よかれあしかれ制度の定着の結果とだけ見てよいのか。筆者には定着というよりは弛緩であるようにしか見えない。国家意志の代行者という立場を引き受ける意味を改めて問い直し、覚悟し直すべき時期に来ているのではないか。
精神保健指定医制度の施行から十数年後、大阪池田小学校事件をきっかけとして、事実上の保安処分制度といってよい心神喪失者等医療観察法(2005年施行)ができた。そのころはまだ、精神医療が治安装置として使われることに強く抵抗する人も多かった。同法の是非をめぐる論争は、精神医療関連の各団体や当事者団体、家族会、日弁連などを広く巻き込んで、ライシャワー事件後の保安処分反対運動以来の盛り上がりを見せ、国会での強行採決で最高潮に達した。当時反対した人々が懸念していた問題点の多くが解決されないまま施行から10年を経た今ではどうか。この制度に直接関係する人々は粛々とそれに従事し、それ以外の人々の間では潮が引いたようにこの制度への関心が薄れている。制度の定着という名の問題の風化がそこにある。

3●改正道交法、特定秘密保護法、ストレスチェック制度

そしてここ数年、国民の安心・安全を守るための、つまり国民をソフトに管理・統治するための法制度で、メンタルヘルスの専門家、特に精神科医が重要な役割を担わされているものが、矢継ぎ早に出来上がった。どれも国民の生活に直結する制度であるが、共通しているのは、社会の安寧を脅かし得る存在として一部の精神疾患を法で名指しし、それを国民のなかから炙り出す役目を専門家としての精神科医に担わせるという仕掛けである。
まず、改正道路交通法(2014年施行)における免許取得・更新に際しての要件強化。そこでは精神疾患をはじめとするいくつかの疾患を特定し、それにり患している旨の申告があった場合には、「安全な運転に必要な能力を欠くこととなるおそれのある症状を呈しているか否か」について、精神科医が診断書によって証明しなければならない。しかも現在の状態にとどまらず、所定の期間内に危険な状態にならないという(本来の精神医学には不可能な)未来予測をしなければならない仕組みである。
また、異論反論渦巻くなかで制定された特定秘密保護法(2014年施行)における適性評価という制度。同法では、国家機密を漏洩するおそれのある者として、テロリズムとの関係者、犯罪・懲戒の経歴のある者らと並んで精神疾患にり患した者を挙げ、機密漏洩のおそれがないことの証明を精神科医に担わせる仕組みとなっている。つまり精神障害者を丸ごと防諜の対象として、そこに含まれているに違いない危険人物を排除するために精神科医を動員しようというものである。
医療従事者の使命は本来、傷病によって不自由になった人の自由を取り戻す手伝いをすることである。ところがこれらの新たな制度では、医療従事者(特に精神科医)が、人間に平等に備わっているべき自由を場合によって制限する役まわりを振られることになる。前者と後者では本質的な違いがあり、医療従事者の日常業務として平然と一括りにすることはできない。前者は一義的には自分を信じてやってきた眼前の人間に奉仕するものだが、後者は国家意志の命ずるところに従って自らの知識や技術を提供するものだからだ。
現在、一定以上の規模のすべての職場で実施されつつある、改正労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度(2015年12月施行)もまた、後者の性格が色濃い。職場の環境が悪化し、メンタルヘルスの問題で休業する労働者が急増するなかでの切り札的な対策と目される。ただし、所轄の厚生労働省ですら「労働者の不利益になるような扱いを禁じる」と繰り返し説明するごとく、運用次第ではメンタルヘルスの問題を抱える労働者の職場外しに利用されかねない。名目上の国家意志としてそこにあるのは労働者のメンタルヘルスの維持増進だが、現在の国家意志が是認するところの新自由主義的資本主義体制の意志としては、精神的にタフな労働者を残し、そうでない労働者を効率よくスクリーニングして穏便に退場願う、ということになろう。積極的加担にせよ消極的協力にせよ、精神保健医療従事者がそのお先棒を担がされることの是非について、私たちはよくよく考える必要がある。

4●「フクシマ」における国家意志とメンタルヘルス

もうひとつ、巨大な国家意志とメンタルヘルス業界の関係について、憂慮せずにいられない事象がある。福島第一原発事故後の精神的健康被害対策における精神保健医療従事者の役回りである。放射線被曝、特に低線量被曝や内部被曝の人体に対する長期的影響については、医学的に未解決の部分が多い。端的には、被曝線量と発がん性との関係が「リニア─閾値なしモデル」(linear non-threshold model)なのか、それとも発がん性との関連を無視できるようになる閾値がどこかにあるとするのか、という問題である。実はその根本問題について、放射線防御学の国際的通説と「フクシマ」以後今日までの日本政府の拠り所とが正反対なのである(国際的通説は「リニア─閾値なしモデル」だが、日本政府は閾値モデルに立つ)。
こうした状況下で、住民の不安や恐怖、その結果としての精神的不健康に対して、メンタルヘルスの専門家がいかなるスタンスで臨むべきか。政府が各地の原発再稼働を急ぐことでもわかるように、国家意志は被災地域の復興というよりは経済・産業活動の回復に前のめりである。そのためには被災地の放射能が人体にとって安全レベルになっていることを一日も早く保証したい。そしてそのための根拠として、閾値モデルは非常に都合がよく、逆に閾値なしモデルでは、延々と被害対策や補償に時と金を費やさねばならないので、それは避けたい。
こうした国家意志が露わななかで、被災地でメンタルヘルス対策に従事する人々が、特に普及啓発活動においてどの知識、どの言説を前提とするか。これはまさに、ひとりひとりの専門職が国家意志との関係性を問われる事態なのである。

5●特集に向けて──再び緊張関係へ......

本特集は、このように様々の制度や臨床・研究の営みを俎上に載せることになろうが、そこでは精神保健医療従事者の知識・技術、また善意や自己犠牲的精神にも先んじて、専門職として人間に介入する場合に要請される倫理そのものが問われることになろう。

さて、座談会のテープ起こし原稿も入り、小論を脱稿しかけていた2016年7月26日、相模原市の障害者支援施設において元職員が入所者の大量殺戮に及ぶという凄惨な事件が起きた。日本中が不条理の怒りに震え、悲しみに打ちのめされている。被疑者が大麻等の薬物常習者であったらしいこと、障害者の抹殺をほのめかして措置入院になった既往があること、しかもそれが比較的短期間で退院になっていること、極端な優生思想にとらわれていたらしいこと(ただしそれが妄想か支配観念の域かはわからない)、などが五月雨的に報道されているが、小論執筆時点で全容は不明である。しかしその不明ななかでも、首相が措置入院制度の運用の見直しを命じ、所轄官庁である厚労省が検討に着手するという短兵急な動きがあった。私たちとしては、精神医療にも、またその一部である措置入院制度にも、危険思想や危険人物を取り締まる治安機能はないし、それを持つべきでもないことをこれまで同様主張することになろう。だがそうした理念だけで押し戻せるほど今回の事情は単純でなく、より細かい運用上の議論に引きずり込まれることが予想される。
これからしばらくの間、国家意志とメンタルヘルスの関係は、大阪池田小学校事件以来となるのっぴきならない緊張をはらみながら進むであろう。私たちは心して備えなければならない。

目次

no.84
特集
国家意志とメンタルヘルス
編集=『精神医療』編集委員会
責任編集=岡崎伸郎+太田順一郎+中島 直

巻頭言*国家意志とメンタルヘルス
岡崎伸郎

座談会*国家意志とメンタルヘルス
富田三樹生+三野 進+太田順一郎+[司会]岡崎伸郎

国家意志とメンタルヘルス
森山公夫

放射線被曝に関わる「精神的影響」評価と科学者の立場性
島薗 進

国家・権力を素朴に考える
立岩真也

軍学共同研究“解禁”の動きと精神医療
香山リカ

国家意志・戦争・精神医学
高岡 健

心理主義化される社会を考える
──メンタルヘルスの機能
大賀達雄

原子力災害時における専門職の役割を問う
──不安の軽減と信頼の構築
近田真美子

差別と精神医学
──産むのか、アンチテーゼになり得るのか
中島 直

コラム+連載+書評

視点─45*精神科病院の敷地内における居住系施設の流れ
──精神障害者退院支援施設・地域移行型ホームと地域移行支援型ホーム
古屋龍太

連載*─6
対等な関係性を求めて──わたしの個人的総括(6)
新居昭紀

連載*─5
精神科看護と歩んだ54年間
──教育編(II)(1995年?2006年)
柴田恭亮

コラム*メンタル的な課題のある母親・父親とその子ども支援を考える
名城健二

書評*『四訂 精神保健福祉法詳解』
精神保健福祉研究会監修[中央法規出版刊]
中島 直

編集後記
中島 直

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