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義経北紀行伝説 第一巻[平泉篇]

  • 山崎純醒著
  • 価格 2800+税円
  • 判型:A5判、328ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0650-2
  • 初版発行年月 2016年11月25日
  • 発売日 2016年11月25日

内容紹介文

正史の虚構を覆す 義経北紀行伝説!

ヤマト朝廷によって編纂された正史(『吾妻鏡』)に基づく義経自害説を、大胆な発想と緻密な検証をもとに覆し、隠蔽された事実の背後に潜む真実の実像をえぐり出す。藤原秀衡死後、平泉を脱出し、延命した義経一行の実像を求めて、豊かな構想力と地道な実証研究によってその隠された軌跡を跡付ける。

「社会構造といった面から見れば、歴史はいわゆる勝者の歴史であり、それが真実の歴史でなくとも残るが、敗者の歴史は、それが真実を伝えるものであっても次第に歴史から消されていくという側面も無視できない。
まして、伝承といった類であれば、社会的な必要性が生じると、権力者によって虚実織り混ぜて記され、増幅させるのは容易である。
時代状況や政治情勢によって異なる解釈を成立させ、その時代の支配者の都合で変化、変更されていくのである。不思議なことに、伝承というものは、実だけでは伝わりにくい話でも、虚実織り交ぜることによって、語り伝えるエネルギーが生まれてくるのである。

【序】
「義経は、平泉の衣川で妻子と共に自害した」と多くの人々は信じ、はかなく散った偉大な英雄の死を悼いたんだ。数多ある歴史上の人物の中でも、義経ほど人々に愛され、もて囃された人物はいない。
源氏を勝利に導いた源平合戦での活躍は、日本の合戦史上類を見ないほど劇的なものであった。「鵯ひよどりごえ越の逆さか落とし」や「壇の浦合戦」の戦い振りの例を出すまでもなく、義経の奇襲戦法は、たちまちのうちに敵を殲せんめつ
滅せしめ、源氏の御曹司としての名を天下に轟かせた。
その天才軍略家も、兄頼朝の勘気に触れ、追われる身となり、ついに衣川の高たかたち館で果てたとされている。そのヒーローの夭ようせつ折はあまりに不条理であり、悲劇的であったが故に、「判ほうがんびいき官贔屓」という言葉も生まれた。
義経の自害説はほぼ定説化しており、近年まで、これに異論を挟む者は疎うとまれ排撃されてきた。もちろん今は、いかなる主張、表現も許される時代ではあるが、義経自害説はまだまだ主流であり、これを覆くつがえすだけの説得力ある説を唱える学者は未だ現れていない。
義経生存説を唱えた在野の研究家には、岩崎克巳・白戸五十八・小林高四郎・松浦武四郎・白山友正・上野凌弘・前野和久・尾崎秀樹・正部家種康・本多貢・鹿島昇などがいるが、大衆にすんなりとは受け入れられなかった感がある。特に義経がジンギスカンとなったという話に至っては、話題性はあっても、突飛すぎて説得力に欠けたことは否めない。
伊藤博文の娘婿で、明治時代に外交官として活躍し、のちに内務大臣を歴任した末松謙のりずみ澄(一八五五?一九二〇)も、義経=ジンギスカン説を唱えた一人である。現職をはばかってか、英文での出版のみで和文の出版をしなかった末松は、文学全般、取り分け漢詩・和歌・古典文学・演劇などに造詣が深く、分けても『源氏物語』の英訳を世界で初めて出版した人物として有名である。第一回衆議院選挙に当選していなかったら、間違いなく国文学者になっていただろう。
ところが、英文で出版した義経北紀行の本を福沢諭吉の弟子で塾生の内田弥八が、諭吉のすすめもあって、『義経再興記』という題号で和訳版を出版した。しかし、原著者である末松の名を示さなかったため、世間から末松が偽名で出版したと思われてしまった。事実、「末松謙澄=ペンネーム内田弥八」と紹介している本がほとんどである。とんだとばっちりを受けた訳だが、このことによって、末松は多くの国文学者や歴史学者に蔑まれ、泥沼に沈んでしまった。さぞかし無念の思いであったに違いない。内田弥八自身も、末松の名を記さなかったがために、かえって説得力を失ってしまった感がある。
かつて学者でただ一人、ジンギスカン説を唱えた人物がいた。エール大学で神学博士号をおさめた明治の学者、小谷全一郎(一八六八?一九四一)である。だが、金田一京助(一八二二?一九七一)など正統派学者たちが、『中央史壇』誌上で一斉に攻撃したために、反論虚しく、異端派として圧殺されてしまった。小谷説は、極めて実証的で説得力もあるように見えるが、あまりに奇想天外な内容と受け取られ、多くの人々は、俄かには信じることが出来ず、強い拒絶反応を示した。思うに、小谷氏の論は未だ時代が早すぎたと言える。
かくいう筆者も、つい最近まで義経自害説を信じて疑わなかった一人である。推理作家高木彬光著『成吉思汗の秘密』は、大変衝撃的な小説であったが「そんな物語もあるのだな」という程度の関心であった。
ところがある時、岩手県出身の歴史家、佐々木勝三著『義経は生きていた』(東北社)を読んで頭を殴られるような衝撃を受けた。そして、ここに書かれてあることは事実であると確信したのである。一介の地方高校教師で、学者ではなったからなのだろうか。当時、世間の関心は、勝三の著書に気にとめることなく過ぎてしまっていた。しかし、筆者の心の中には、佐々木勝三(一八九五?一九八六)の偉業を再び世に知らしめたいものだという思いが次第に強くなっていった。
そんなある日、それは、筆者が岩手県の紫波町に引っ越してきて五年経った平成十三年の春であった。自宅近くの、地元では有名な史跡を訪れた時から、筆者の思いは、決意へと変わった。
その史跡とは、紫波町宮手というところの「陣ヶ岡歴史公園」である。ここに奥州藤原氏四代泰やすひら衡の首が運ばれ、首実検されたと案内板に書かれている。そして泰衡の首を洗ったという井戸が、今も枯れることなく現存しているのである。
筆者は特に歴史に強い興味を持っていたわけではなかったので、はじめは「こんな歴史がこの町にもあったのか」「頼朝はここで一週間も陣を張っていたのか」などと感慨に耽るだけであった。
しかし、ふと頭の中にいくつかの疑問が湧き上がってきたのである。なぜ泰衡の首は陣ヶ岡に運ばれたのか。河田次郎はなぜ泰衡を裏切ったのか。その河田次郎が頼朝から恩賞を受けるどころか斬首されたのは何故か。泰衡の首に何故八寸釘が打たれなければならなかったのか...。
その後も様々な疑問が、次々に押し寄せてきた。と同時に、無性にその理由を調べてみたくなった。分からないものを分からないままにしておくことは筆者の性分が許さなかった。いや野次馬根性が頭をもたげたといってもいい。
調べていくうちに、筆者は義経の生存を暗示する驚きょうがく愕の事実に出くわすことになった。そして中央(幕府・朝廷)の目だけでは見えない、征服された東北の消された歴史というものが徐々に見えてきたのである。それは意図的に歴史から抹殺され、また隠いんぺい蔽された史実であった。
筆者は、これをどうしても本にして書き残したいという衝動に駆られた。日本の知られざる歴史を明らかにしたいなどと大おおぎょう仰に構えるつもりはないが、今まで誤魔化され歪曲され、また曖昧にされてきた日本の歴史のほんの一部でも糺たださなければならない、義経自害の物語こそ、歪わいきょく曲された史実の一つだと感じたのである。
本書で主張したいのは、義経が衣川で自害せず、しっかり生きたということである。それは文献だけに頼らず、多くの伝承者に接し、また証拠を見せられ、じかに現地を探索して得られた、筆者の確かな結論である。
本書において筆者は、義経のひととなりや生き延びた事実、背景、目的を明らかにするとともに、義経が、生き延びるみちのりの中でいかに暮らし、いかに人々と接したかを描写し、その心の中まで探ろうと試みた。
多くの作家・歴史家が義経を調べ、描き、語り尽したはずである。「何をいまさら」とお思いの方もおられると思うが、まだ誰も書かなかった新事実や新発見も筆者なりの解釈で述べている。読者にも新鮮なものを感じていただけると確信している。
本書は、歴史検証のエッセーというスタイルをとっている。書き手の思惑如何で、いか様にも脚色できる小説とは違って、出来るだけ歴史的事実に則しながら、通説を鵜うの呑みにせず、虚きょしんたんかい心坦懐に検証・推理し、説得力ある記述を目指した。
同時に、一般人の特権で、時には何者にも拘束されない大胆な想像力を駆使したことも否定しない。しかし、すべては検証を重ねた末の確信に基づくものである。
本書を読むに当たっては、本書と同時刊行した『義経北紀行伝説 源義経周辺系図解説』(以降、略して『別冊本』と表記)の参照をお勧めしたい。いずれも筆者が本書のために検証し、作成したオリジナルな略系図である。理解度が格段に上がることは間違いない。
系図は諸説学説入り乱れており、筆者の判断が正しいとばかりは言えないが、歴史を学ぶ資料としての価値があると考えている。従来の系図と見比べながら楽しんで頂けたら幸いである。
『別冊本』に掲載した系図及び付録図は、筆者自身が様々な史料や伝承譚を紐解き、それらを分析・複合させて作成したオリジナル系図である。極力、余白いっぱいの解説を加えたが、これは本書の主張に添った筆者自身の解釈であることを断っておきたい。また、系図の中には記せなかったが、本文の中で解説したものもある。
系図一、二は奥州藤原氏周辺の系図、系図三は源氏及び頼朝周辺の系図、系図四は樋爪氏系図、系図五は清原氏系図、系図六は安倍氏関連の系図、系図七?十は頼朝の御家人・家臣の系図(但し、系図八は藤原氏家臣の佐藤氏系図)、系図十一は南部氏系図として分けた。
他の系図史料と見比べて、その違いを確かめてみるのも楽しいのではないだろうか。なお、系図三―?A・B、系図三―?、系図四―?、系図五―?、系図六―?は、伝承をもとに作成したもので、参考程度の位置付けで見て欲しいと思う。
なお、数字のない系図は、天すめらみこと皇を含む神々とその子孫たち、及び古代の主要人物の系図で、併せて作成・掲載した。こちらは、本書の第二巻以降で登場する人物のための解説系図である。
古代の系図に関しては、正確な史料が少なく、また口碑伝承に頼るしかないものが多く、信憑性極めて薄い。作成には相当の苦労を強いられた。互に異なる系譜が示されている資料のどれを採用すべきか、選択する者の歴史知識と歴史観によって違ってくるはずである。
筆者としては、怪しい系図は除外し、史学会に支持されているもの、または使用頻度の高いものを選択し、さらに筆者の解釈を加えた。従って、筆者が作成した系図を「正しい系図」と鵜呑みにせず、読者自身も検証しながら見て頂けたら幸いである。また、併せて掲載した付録図も参考資料としてご覧頂きたい。
本書第一巻は五章の構成である。それぞれ独立したテーマを設け、そのテーマに沿って持論を述べた。どの章から読んでも楽しめるように書いたので、一章から順番に読まなくても構わない。興味ある章から読んでもらった方が読書も進むと思う。どの章も、義経が平泉で死んでいないという″事実?を示すヒントを詰め込んでいる。結論は読者自身が導いてほしいと思っている。
尚、本文の理解をより深めてもらう意図で、文中に〈参考〉解説文を加えた。〈参考〉は本文に付随する記述を補うために付け足して記した。より掘り下げた詳細事項、意外な事実、裏話などのトリビアを記した。また本文の記述とは少し離れた余話、茶話、零こぼれ話など、本文の記述を妨さまたげない関連性ある内容を記した。〈参考〉の文章の中には、一見、本文とは直接関連しない解説がなされているものもある。無用と思われるようであっても、実は次巻以降でしっかりつながるようになっている。続巻を読むための云わば伏線・暗示として意図して書いたもので、無関係ではない。しっかり記憶に留め置いてもらえたら、「なるほど」と合点してもらえると思う。

【著者プロフィール】 山崎 純醒(やまざき・じゅんせい)
1956年岩手県山田町生れ。同県紫波町在住。
 サラリーマンのかたわら、フリーライターとして文芸誌や趣味誌などに文芸評論、科学コラム、歴史エッセイ、短編小説など寄稿。40歳でサラリーマンをやめ、プロとして専念。各誌に連載記事を執筆。テーマは自然科学、ことばと言霊、旅と人生、生活の中の仏教思想、氏姓と家紋、姓名と運命、郵趣雑感寸話茶話、歴史人物裏話、詩の愉しみ方など、ジャンルを問わず精力的に執筆。詩人、歌人としても多くの作品群がある。
 歴史ものは主に古代史から中世までを専門とし、行って見てきたかのごとく書くというスタイルが特徴。ヒューマンネットワークONE WORLD代表理事、企画文芸集団夢詩芽画音代表、詩創作塾ぺっこの会主宰。
 2009年、日本唯一の義経北行伝説を専門に研究する団体「義経夢の会」を設立。事務局長、特別顧問を経て、平成2013年会長就任。

目次


第一章 悲しき逃避行
一 義経の旅を追う
世や花に 判官贔屓 春の風/義経主従、艱難辛苦の旅/逃避行(東下り)成功の背景
二 真実の義経像を探る
義経は醜男か美男子か/義経美男子説の根拠       
三 義経の新たな旅立ち
運命の暗転 秀衡の死/巨星墜つ――秀衡の遺志と義経の逡巡/頼朝の思惑
四 義経の選んだシナリオ
苦悩の決断/究極の秘策/杉目太郎行信の処遇/泰衡の偽装工作/高館はどこにあったのか
五 頼朝の疑念と策謀
義経の首実検の不思議/頼朝の疑念/留め置かれた首/頼朝の読みと計略

第二章 頼朝の奥州攻めと平泉の運命
一 頼朝の野望
泰衡の誤算/頼朝の狙いは奥州攻め 
二 奥州平泉の滅亡
怒涛の進撃/頼朝 平泉入り/ああ、平泉炎上/統治者としての行動/ 阿津賀志山の攻防/畠山重忠、義経を追う/南部氏と馬産振興
三 鎌倉軍の検証
二十八万四千騎の謎/兵糧面からの検証/奥州攻めの進路の謎/当時の馬は小柄だった/鎌倉幕府の成立は一一九二年ではない/頼朝の支配体制
四 陣ヶ岡(蜂神社)縁起
陣ヶ岡歴史公園/月の輪形と日の輪形/八門遁甲の秘密/古老の献身 

第三章 頼朝の野望と奥州藤原氏の実像
一 奥州藤原氏の検証
藤原三代のミイラ調査/何故ミイラとして遺されたのか
二 四代泰衡の首の真相
泰衡の頭蓋骨と八寸釘/泰衡の首の行方/なぜハスの種子が首桶に入れられたのか 
三 頼朝の血と心象風景
頼朝が見た泰衡の首/泰衡の首は偽首だった/河田次郎の短慮の謎/頼朝の心中はいかに 
四泰衡の首の真実
偽首は樋爪一族か/埴原論文が導く泰衡の首の正体とは/怨霊と鎮魂/泰衡の計略/投げ文の謎/足取りのさらなる検証/河田が泰衡の首を討った日は九月三日ではなかった
五 実像の頼朝
頼朝の深層心理と心的外傷/頼朝の肖像は別人だった/際立つ頼朝の冷酷さ/死の真相と呪われた家系

第四章 義経伝説の真相を求めて
一 埋もれた敗者の歴史
義経は生きていた/偽義経の蜂起/義経と栗原寺との絆
二 英傑 三代秀衡の秘策
奥州に迫る危機/脱出は奥州の掟/秀衡の秘策/なぜ十三湊なのか/周到な平泉脱出計画/縁の下を支えた海尊/秀衡の妻たち/奥州藤原氏と中国大陸の関係/遮那王丸の名に隠された意味

第五章 義経伝説 真偽の検証
一 史実と伝承のはざま
ひとり歩きする伝説/義経と弁慶、その運命の出会い/『勧進帳』安宅関の大芝居/義経の妻の謎/義経の子の謎
二 歪曲された伝承
『義経首洗い井戸』の伝説/磯原神社願文は本物か
三 奥州の義経 空白の六年
空白を埋める義経伝説/なぜ赤沢なのか その一/奥州藤原氏の産金と紫波の金山/なぜ赤沢なのか その二/なぜ赤沢なのか その三/脚色のない赤沢の義経伝承/大角家に伝わる伝承
四 伝承の性格と構造の曖昧さ
伝承はいかに作られるか/歴史の検証 合理性と想像力

あとがきにかえて
この場をかりて
関連施設・団体・研究機関等
参考文献一覧
著者プロフィール

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