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「精神医療」81号特集=松本雅彦の目指したこと─精神医療改革運動と精神病理学を止揚する営み 

  • 責任編集=岡崎伸郎+高岡 健
  • 価格 1700+税円
  • 判型:B5判、144ページ、並製
  • ISBN 978-4-8265-0634-2
  • 初版発行年月 2016年1月10日
  • 発売日 2016年1月12日

内容紹介文

松本雅彦先生は、「精神医療」誌がガリ版刷り時代の創刊からの中心メンバーであり、精神医療改革運動に挺身される一方、精彩に富んだ症例記述に立脚する精神病理・精神療法の権威であり、多くの精神科医の先達として指導されてこられたが、その高潔にして飾らぬ人柄に私淑する精神科医たちにとって、ご逝去による喪失感はぬぐうことのできないほどの痛みをともなうものであった。
同時代を生きた精神科医は、浜田晋、島成郎、藤澤敏雄、広田伊蘇夫らの鬼籍に入られた精神科医や中山宏太郎、森山公夫らの現役の精神科医らであるが、若き時代の彼らは、医学部の閉鎖的な大学医局講座制の解体、教授・医師の独善的な支配構造、隔離収容型の病院医療に批判の矛先を向けたが、それはとりもなおさず己の医師のとしての存在そのものを問う自己否定のたたかいでもあった。
未だに世界に例をみない33万床という日本の隔離収容型の病院精神医療の改革に取り組んだ運動の軌跡と精神病理学・精神療法の研究と臨床のさらなる研鑽を、残されたものたちが担うために多様な視点から光りを当てた特集号である。

巻頭言
松本雅彦の目指したこと
──精神医療改革運動と精神病理学を止揚する営み

岡崎伸郎
Okazaki Nobuo
国立病院機構仙台医療センター
本誌編集委員

■闘争の担い手として

松本雅彦(1937?2015)の訃報が、深く静かに精神医学・医療関係者の間に広がっていった。この類い稀な精神科医にして精神医学者、そして高潔でありながら飾らぬ人柄に私淑していた人は全国に数多く、その喪失感は計り知れない。本誌創刊以来の中心メンバーの一人であった松本を失った編集委員会もまた、深い悲しみに包まれている。
後半生の松本の謦咳に接した人は、ことの本質に迫りながらも常に抑制の効いた言葉のなかに、また大家的な威風とは対極の謙遜がちな振る舞いのなかに、良質の臨床家と本物の学者との理想的な結びつきを見たであろう。しかしそれは予定調和的にもたらされた"幸福な結婚"などではなかった。
松本の修業時代は、精神医学の各領域で多くの人材を輩出した京都学派(村上仁教授)の若き俊英として精神病理学を志しながらも、その学問の存立基盤に内在する構造的な問題に目覚め、同志らとともにこれらを糾弾する精神医療改革運動の担い手としてあったのである。時代はまさに政治の季節であり、欧米と日本とで呼応し合うように若者の異議申し立て運動が高揚していた。国内では東の森山公夫らと西の松本らが呼応し合って運動を主導した。糾弾の矛先は、医学部教授を頂点とする大学医局講座制の封建主義や業績至上主義であり、それを補強する外部装置としての学会の閉鎖的、非民主的な体質であった。しかもこれら学問の府は、劣悪な環境を強いられていた隔離収容型病院医療に寄生することで存続しているとしか言いようがなかった。大学医局から地域の関連病院(Anstalt、また大学医局の植民地的な意味合いでSitzとも呼ばれていた)に派遣された若手医師は、そこで低規格・低コスト医療を下支えすることで生活の糧を得る。のみならず派遣先で診た症例を手近な材料として研究論文を仕上げ、立身の踏み台とする。こうした搾取の構造こそが、松本ら怒れる若者たちを覚醒させたのだった。
当時、特徴的な症例の精緻な観察に基づいて疾患や病態の理念型を見出そうとする精神病理学が花開いていた。精彩に富んだ症例記述に立脚する精神病理学こそが精神病理学の王道であった。しかしこうしたあり方に安住することも松本ら若手の批判の赴くところであった。その主張を象徴するのが、本特集でも幾人かの著者が言及するであろう「百分の一主義」批判、つまり百人の中から一人の患者を選び出し、他の九十九人を放置することで成り立つ学問の独善性に対する批判であった。
重要なのは、こうした学問の搾取性や独善性に目覚めて糾弾しようとするとき、その運動が徹底して自己批判的であることを要求したことである。自らの拠って立とうとする学問も、それによって支えられる生活も、搾取性や独善性を免れることができないのではないかという根源的な問い。当時の松本らの営為が、まさに自己否定の深淵を見つめながらの厳しいものであったことは想像に難くない。

■青春の譜

さて、このように「臨床」と「運動」との、また「臨床」と「学」との止揚という至難の課題を自らに課すなかで、その息詰まるような日常から一旦離脱するかのように、松本はフランス給費留学生として二年間渡仏する(1975?1977)。
まことに興味深いことに、この二年間について、松本は公的な場ではほとんど語らず、書いてもいない。『精神科医ふらんす留学あ・ら・かると』(三木二郎著、1987)という、筆者も研修医時代に親しんだ本の著者が誰あろう松本雅彦その人であることは、知る人ぞ知るところである。しかし後年、幸いにして知遇を得た筆者がとある宴席でそのことをおずおずと尋ねた時も、松本ははにかんだように笑って否定も肯定もしないのだった。
ところどころ軽妙なエピソードにまとわれてはいるが、留学時代の松本雅彦、否、三木二郎の経験は赫々たるものである。当時のフランス精神医学の大立者たち、アンリ・バリュックHenri Barukをサン・タンヌ病院に訪ね、ピエール・ピショーPierre Pichotの教室に所属し、最晩年のアンリ・エーHenri Eyと語り、その合間にジャック・ラカンJacques-Marie-Emile Lacanのセミネールをも聴講しているのだ。
普通ならば帰国後の折々にこうした貴重な経験への言及がなされるものであろう。しかし松本は、「三木二郎」の筆名による一冊に封じ込めるようにして、それ以上に語ることはしなかった。それはひょっとすると、日本に残って自己否定と隣り合わせの運動や臨床に明け暮れた仲間たちへの、慎み深い松本ならではの流儀だったのではなかろうか。
ともあれフランスでの二年間は、松本にとっての遅れてやってきた青春であり、筆名による留学記は、そのようにして封印されるべき"青春の譜"だったのかもしれない。

■豊穣の時代

かくして帰国した松本は、さらに暫くの時を経てある種の止揚に至ったかのように臨床精神病理学へと帰還する。そして臨床と教育の合間に、数々の著作と翻訳をものする。
今日でも若い世代の精神科医に読み継がれる名著『精神病理学とは何だろうか』(1987、本誌への連載をまとめて刊行したもの)をはじめとして、『こころのありか【分裂病の精神病理】』(1998)、『言葉と沈黙──精神科の臨床から』(2008)などが世に送り出された。そのいずれもが、これほどの学識を備えた人の思索の結晶とは思えないような平明な文体で綴られている。
この追悼特集の企画が進行していたある日、遺著となった『日本の精神医学この五〇年』(2015)が出版社を介して送られてきた。一読して感じ入ったのは、精神病理学の開花期から今日のDSM批判までを語るその文章もまた、かつて時代の状況と斬り結び、時代を画した人の遺著とは思えないほどに優しい語り口だったことである。
訳業もまた、時代の精神医学理論をリードするものを厳選し、仲間や後輩らのグループを率いて精力的になされていった。ガンダーソンJohn G. Gundersonの『境界パーソナリティ障害』(共訳、1988)、サールズHarold F. Searlesの『逆転移1』(共訳、1991)、チオンピLuc Ciompiの『感情論理』(共訳、1994)などである。
しかし松本の訳業の白眉は何といっても、ピエール・ジャネPierre Janetの著作の個人訳であろう。彼のジャネへの着目は早く、フランス留学時に碩学アンリ・エーと面会した際に「クレペリン、ブロイラーの精神分裂病(当時)をジャネの考え方で見直してみたい」と自身の構想を披瀝していることが、「三木二郎」によって語られている。そして帰国後、この仕事をライフワークのひとつと定めたように、『心理学的医学』(1982)、『症例マドレーヌ──苦悶から恍惚へ──』(2007)、『被害妄想──その背景の諸感情──』(2010)、『解離の病歴』(2011)が順次刊行された。そして最晩年には、ジャネの主著ともいうべき『心理学的自動症』(2013)が、病を得た自らの余命を逆算するかのようにして訳出されたのである。
ここでひとつだけ私事にわたることをお許しいただくならば、筆者が若い時分に統合失調症の病勢モデルを考えていたとき、その鍵のひとつとなったのは、松本訳ジャネ『心理学的医学』で展開される心的エネルギーの概念であった。また筆者の若気の至りのアイディアを活字化する場を与えてくれたのも、松本の肝煎りで行われた最後期の「分裂病の精神病理ワークショップ」であった(松本雅彦編『精神分裂病──臨床と病理──第1巻』(1998)、永田俊彦編『精神分裂病──臨床と病理──第2巻』(1999))。
公人としての松本は、京都大学医療技術短期大学部教授、京都府立洛南病院院長を経て、京都光華女子大学教授を務め、晩年までいわくら病院で診療しながら後輩のアドバイス役を引き受けていた。そしてこの間、難しい岐路に立っていた日本精神病理学会を理事長として牽引した。かつて自らの存在をかけて異議申し立てした"学問の砦"であったが、今やその守護者は松本を措いてないと多くの人が認め、白羽の矢を立てたのである。

■松本雅彦の目指したこと

松本の遺産はまことに大きいが、特に後半生の円熟期に収穫されたそれらを私たちが理解し継承するためには、前半生の激動の軌跡を当時の時代思潮とともに振り返る必要がある。松本が格闘した精神医学・医療の命題は、今日もなお高い山として私たちの前に立ちはだかっている。そうである限り、これからの私たちの歩みもまた、松本とともにあるだろう。
本特集では、松本とともに精神医療改革運動を担い、また精神病理学の道を歩んできた人々を中心に寄稿いただくことで、「松本雅彦の目指したこと」を未来に活かすための里程標としたい。
本特集のタイトルを「松本雅彦の目指したもの」とする案が当初浮かんだが、すぐに「?目指したこと」に落ち着いた。生前の松本が、統合失調症という事態を安易にモノ化するのではなく(つまり物質に還元し、あるいは症状の名付けに帰するのではなく)、一人の人間に起きたコトとしてそのまま理解したい、と折りに触れ述べていたのを思い出したからである。

目次

精神医療no.81
責任編集=岡崎伸郎+高岡 健
特集
松本雅彦の目指したこと
──精神医療改革運動と精神病理学を止揚する営み


巻頭言*松本雅彦の目指したこと
──精神医療改革運動と精神病理学を止揚する営み
岡崎伸郎

時代、精神病理学・精神療法、松本先生
森山公夫

松本雅彦先生のご逝去を悼む
村上靖彦

松本雅彦先生とジャネ
柴山雅俊

松本雅彦先生を偲ぶ
横山 博

松本雅彦先生が目指したこと
──教えていただいたこと
山下俊幸

白い空と白い紙
──松本雅彦先生をしのんで
杉林 稔

松本先生の思い出
岡江正純

「本読み」のことなど
馬場一彰

京都精神科症例検討会の松本先生
石坂好樹+岸 信之+波床将材

わが国における人間学派の系譜
──松本雅彦の「1968年」
浅野弘毅

余白に書き込まれた迷いとためらい
阿保順子

精神病理学をめぐる根源的な問い
高岡 健

コラム+連載+書評

視点─42*自殺予防総合対策センターの見直しについて
田中 治

連載*雲に梯─21
ハー オイサカサッサ
久場政博

連載*─3
対等な関係性を求めて──わたしの個人的総括(3)
新居昭紀

新連載*
精神科看護と歩んだ54年間
──臨床編(・)(1970年?1987年)
柴田恭亮

コラム*「小さな成年後見」の実現を目指して
西川健一

書評*『精神科臨床の足音──〈私〉を〈希望〉に調律する日々』
杉林稔著[星和書店刊]
菊池 孝

紹介*『身体へのまなざし──ほんとうの看護学のために』
阿保順子著[すぴか書房刊]
西川 勝

編集後記
高岡 健

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